留萌沖「三船殉難事件」講演会の開催

終戦直後の1945年8月22日に留萌沖でサハリン(樺太)からの疎開船が旧ソ連の潜水艦の攻撃を受け約1700人以上の方々が犠牲となった三船殉難事件について、悲劇を風化させず、北の大地で起きた戦争の歴史を次世代に語り継いでいく取り組みとして、本年8月22日、留萌市内で留萌地協・留萌地区連合が主催する留萌沖「三船殉難事件」講演会が開催されました。
留萌市教育委員会生涯学習課学芸員の福士廣志さんを講師としたこの講演会には、連合北海道の荒木副事務局長、石田道民運動局次長を含む約80人が参加しました。

冒頭、留萌地協・中内会長は「今回の開催目的である北の大地の戦争を語り継ぐというこの目的を達成するためには皆さんが講演を聞いていただき、 身の回りの方々に語り継ぐ一人になっていただきたい」と挨拶がありました。

続いて留萌市教育委員会生涯学習課・学芸員の福士廣志さんより講演をいただき、「小笠原丸・第二新興丸・泰東丸の三船を攻撃した潜水艦は国籍不明とされていたが、1992年10月1日の毎日新聞により旧ソ連の太平洋艦隊の潜水艦だったことが明らかとなったことや当時、旧ソ連のスターリンは留萌と釧路を結ぶ北海道の北半分の占領を意図し航行中の敵船舶の撃滅を命じていた」と旧ソ連の行動計画について説明がされ、「小笠原丸は稚内港から引き揚げ者700人を乗せ、小樽港に向け、航行中に魚雷が命中し、船は沈没。波間に漂っていた引き揚げ者には容赦ない機銃掃射があり、641人が犠牲者となり、第二新興丸は3500人を乗せ小樽港に向け、航行中に魚雷攻撃を受けて大破するも自力で留萌港に着岸、400名が犠牲。泰東丸は780人を乗せ、小樽港に向け航行中に大砲による砲撃を受け、船長は威嚇射撃だと考え、白旗を振ったにもかかわらず容赦ない砲撃と機銃掃射があり、667人が犠牲者となった」と当時の三船の状況について詳細に説明がされました。さらに、引揚船には65歳以上の老人、14歳以下の学童、40歳以下の女性と乳幼児、病人の方々が乗船しており、その内約1700人の尊い命が失われたことなどにも触れられました。

また、三船殉難事件で沈没した小笠原丸、泰東丸について、8月13日からソナー調査が留萌沖で行われ、調査にあたった東大名誉教授で浦環さんが講演会でソナー調査結果について報告していただき、浦名誉教授からは「多くの方が、海中調査技術の現状と今後の遺品引揚など、人々にあらためて関心を呼び起こすきっかけになる」と話され、会場からは、3名の一般市民から質疑応答があり、「こんな形で残ってるとは」などと、コメントがありました。
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