長崎アピール
二十一世紀が間近に迫っている。その時を選んで私たち地球市民は今、核兵器による最後の大量虐殺のあった長崎に、世界各地から集まった。
約半世紀前、人類は核兵器を開発した。核兵器は、一瞬にして数百万の生命を奪うばかりでなく、かろうじて生き延びた人々にも、生涯消えることのない心と体の苦しみを与え続ける。核兵器の使用による被害は交戦国を超えて広がり、生態と環境に深刻な被害をもたらす。こうした凶器が、今もなお、政治の駆け引きの道具に使われている。
迫りくる死の不安にさらされながら、「私たちの悲劇を二度と繰り返させてはならない。核兵器廃絶の約束をした核保有国は、その証(あかし)として、せめて私たちが生きている間に、核兵器廃絶を実施してほしい」と訴える被爆者の声に、私たちは誠実にこたえる責務がある。長崎を核戦争最後の被爆地としなければならない。
冷戦構造が崩壊してから十年以上がたつというのに、三万発以上もの核弾頭が地球上に存在し、米ロは数千発を瞬時に発射できる体制を変えていない。
最高の法的権威である国際司法裁判所は、核兵器の使用と威嚇は国際法上違法であると判断した。生物・化学兵器以上に非人道的兵器の烙(らく)印を押されたこの兵器を、核保有国や「核の傘」に頼る国の政府は、安全保障のために必要だと言い続けている。
今年五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、核兵器国が「核兵器廃絶への明確な約束」をしたことは私たちに大きな希望を与えた。しかし「加速された交渉を行う」という当然の言葉を削除しなければ、その合意は成立しなかった。
核兵器があり続けることは、人類にとっての脅威であり、それを使用すれば破局的な結果をもたらす。破局への唯一の防御は、核兵器の廃絶である。私たちは会議の中で核時代の苦しみを味わった広島、長崎、セミパラチンスク、ネバダ、ムルロア、チェルノブイリ、東海村のヒバクシャについて多くを学んだ。
女性、青少年、勤労者、宗教者、先住民などを含む地球市民のあらゆる分野の人々の声がわき起こり、国際的な力を得なければならない。それこそが政府に約束を守らせる力となる。長崎での四日間の会議を終えた私たちは、地球市民の名において、世界中の人々に、次のことを心から呼び掛ける。
1. 世界中の市民は、同じ志をもった国々と協力し、核兵器禁止条約を交渉する国際会議の開催を要求しよう。
2. 核兵器廃絶のために果たすべき日本政府の責任と役割は極めて大きい。日本が、核兵器に依存した安全保障政策から脱して、北東アジア非核地帯設置を含め、その役割を最大限に果たすよう期待する。そのための日本市民の運動を世界の市民も支援しよう。
3. 北米と東アジアに関して米国が提案しているミサイル防衛計画が核軍縮を阻み、新しい核兵器開発競争を引き起こそうとしている。この現実が緊急に改善されなければならない。ミサイル防衛計画の中止を求める米国市民と連帯し、世界の世論を一段と強めよう。
4. 各国政府は核による被害を国民に明らかにすべきである。核兵器のために費やされている巨額の費用を核兵器の使用、およびウラン採掘、再処理、実験、製造など核開発のすべての過程で生み出された被害を軽減し、補償し、環境を回復するために振り向けるよう、要求しよう。それはまた核兵器の廃絶とその検証にも振り向けなければならない。
5. その他、包括的核実験禁止条約の一日も早い発効、臨界前核実験などすべての核兵器実験の禁止、兵器用核物質の生産禁止と国際管理、核兵器の大幅削減、警戒体制の解除、核保有国同士の先制不使用と非核保有国への不使用政策の採用、外国領土や国際海域からの核兵器の即時撤去、非核地帯の新設と強化、核抑止論の公的な否定など、一歩ずつ実現するための措置を、並行して進める努力が必要である。さらに、インド、パキスタンの核兵器計画をただちに中止させよう。これらを達成するために、あらゆる機会をとらえて市民の要求を出し続けよう。
ヒバクシャやアボリション2000などの運動が「核兵器廃絶」を国際政治の共通語になるところまで前進させた。市民の努力が続く限り、私たちの目標が達成されるという明るい希望がある。それぞれの場で踏み出す小さな一歩こそが、必ずや大きな変化をつくりだす。永久に核兵器の脅威から解放された戦争のない二十一世紀を一日も早く実現させるために新たな行動を共にはじめよう。
2000年11月20日
「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」