現代の改憲論と有事法制
1999.SEKAI 11
 
樋口陽一 ひぐち・よういち
 比較憲法学。上智大学法学部教授、東北大学・東京大学名誉教授。一九三四年生まれ。著書に『憲法と国家』『自由と国家』『比較のなかの日本国憲法』(以上、岩波新書)、『もういちど憲法を読む』(岩波セミナーブックス)など多数。
 日米ガイドライン関連法の成立以来、有事法制の整備、さらに窓法改正を求める声が一段と高まっている。それらの何が問題なのか。私たちは憲法ととのように向き合うべきか。
 
 
司会 第一四五国会では、日米新ガイドライン関連法、盗聴法、国旗・国歌法などが成立し、さらに来年一月からの通常国会に、憲法調査会を設置するという法案まで通ってしまいました。ガイドライン法の成立後は、有事法制が必要だという声も高まってきています。まず、この状況をどうご覧になっていらっしゃるでしょうか。
 
樋口 小渕政権は、昨年夏の参院選で橋本自民党が予想外の敗北を喫したのを受けて、“クライシス・オブ・ガバメント”、つまり政権の危機状況のもとで、おずおずと出発した政権でした。ひっそりと出発したその政権が、危機に臨んで、いろいろなことをどんどんやっていく政府(クライシス・ガバメント)としての顔かたちを遺憾なく発揮したのが、この第一四五国会でした。
 
 第一四五国会の閉会した翌日、八月一四日夜からの豪雨で、丹沢渓谷では子どもを含めた多くの人々が犠牲になるという、痛ましい出来事が起こりました。私はこの八月一三日と一四日に奇妙な連想を感じています。と言うのは、亡くなった方にはたいへん失礼だけれども、川の中洲にテントなど張るものではない、川岸のキャンプで雨が降ったらすぐ逃げ出せ、それをタブーと呼ぶかどうかは別として、やってはいけないという言い伝えが昔からあった。今国会では、やってはあぶないことだと言われ、手をつけられずにきた主題に、おずおずと出発したはずの政権ががむしゃらに挑んでいった。しかも、政治の世界の中洲にいるのは政治家だけではない。われわれ日本国民全員がいるのです。
 しかし、もちろん決定的に違うことがある。不幸なことですが、大雨が降るなどということは人間の意思ではどうにもならないことでした。一方、すべて政治の世界の事柄は、国の内外を問わず、人間の意思によって、少なくとも働きかけることができるはずのものなのです。
 世の中でタブーと言われているものの中には.いわれのない禁令ももちろん沢山ありますけれども、しかし一方では人間の長年の知恵で、そういうことに手を出してはいけない、そういうことをすると不幸なことが起こる、という意味でのものもある。そういうものも含めて、一切のタブーを批判の目で見るというのは理論や思想の仕事です。人権という価値、平和という価値をもタブーにしないで、それを疑ってかかることが必要だし、タブーの前にたじろいではいけない。けれども政治の責任を預かっている人たちには、簡単にそういうことを言ってもらっては困る。政治家というのはその逆で、表に出ない世論に対するおそれ、それから何よりも歴史の教訓に対するおそれに、戦々恐々としなければならないはずでしょう。
 かねてから日本のタカ派の総代表のような立場にある元首相が、憲法をタブーにするなと言ってきました。それは違うのではないか。一理論家が、憲法であれ、人権であれ、平和であれ、それを疑いの目で見ようと提唱するのとは訳がちがう。日本、ひいては世界の何億もの人々の生命とか幸福を預かっている政治家が、そんな無鉄砲なことを言ってもらっては困る。期せずして、その元首相にソフトクリームみたいだと言って揶揄された、ハト派と目されてきた野党の幹部も、「改憲は難しいものでも恐ろしいものでもない」と言っている。政治家としての責任意識が磨滅しているのではないだろうか。どちらの方もあまりにも気楽な発言だと思います。
 これまで日本の改憲論の高まりというのは、もちろん世界史的な大きな状況、それから日本の国内の状況というものがあった上でですが、そのときどきの政局にからんだ小道具として出されてきました。本来、憲法論はいつでも、どこででもやるべきだと思いますが、こうした議論の出され方をされてきたことはひじょうに不幸なことだと思います。
 一九五七年、当時の岸内閣によって内閣の下に憲法調査会がつくられましたが、結局これには改憲派の政党に属する議員しか参加しませんでした。またこの時は学識経験者の参加も求めたのですが、委員会がつくられた文脈上、その性格が明らかだとして、積極的な改憲論を唱える方々以外は、ごく数人を除いてほとんど参加しませんでした。つまり一九五四年から五六年にかけて盛り上がった第一期改憲論が、選挙で国会の議席の三分の二をとることに失敗した(一九五五年の衆院選と一九五六年の参院選)、さしあたり改憲が実現不可能になったので憲法調査会をつくって、ありていに言えば、この憲法がいかに不備なものかをさらしものにしようという政治的文脈でつくられたという次第です。それでも学識経験者の中から参加なさっていた、高柳賢三さん (同会会長)のリーダーシップもあって、ゴリゴリの改憲という報告書にはなりませんでした。
 その報告書が出たのが、一九六四年ですが、三五年たった今でも憲法をめぐる議論の構図はまったく変わっていません。つまり改憲論の側は.決して戦前に戻ろうというわけではない、もう戦前に戻る心配はないのだと言って改憲論を出している。あるいは、この憲法は「民主的機能が不十分で今や時代遅れである、世の中はもっと進んでいるのであって、むしろ今の世の中に合うように前向きに変えるべきだ、という議論を出してくる。これは三五年前からそうなのです。
 それに対して護憲の立場からは、仮に改憲論者たちが真面目にそう思っているとしても、客観的に見るとそうではないではないか。逆戻りしないという発言を裏付けるようなことをあなた方はやっていないではないか、むしろそれを事あるごとに妨害してきたではないか、と反論する。何よりも戦争責任、戦後責任の所在を問うどころか、多少ともそれをやろうとすると寄ってたかって押しつぶし腰味にしてきたのは、まさに改憲論者の人々ではないか、というわけです。
 
 
樋口 当時の議論と今の議論はほとんど変わっていない。このところ有力政治家や有力新聞社が、改憲論をいろいろ主張しています。主張は大いに自由なのですけれども、政治家があれをやりたい、これをやりたいと主張しているだけのようなものが、「論壇」の注目すべき業績として取り上げられるなどという状況は理解できない。せめて、現代史の最低限の知識を踏まえた上での議論であってほしいと思うのです。
 これらの主張を通覧してみると、いまだに日本国憲法の出自が問題とされています。外国の軍隊に占領されている間につくられた制度改革は嫌だと主張するのであれば、いちばん問題にしなければいけないのは、私は日米安保条約だと思うのです。日米安保条約は占領中に、しかも占領を法的に終了するのとひきかえに「選択」させられたものです。占領後、自由な判断主体となった日本国が、自分自身の主体的意思で選んだものではありません。
 占領中に憲法が制定された例は外国にはない、という主張をする方もいますけれども、これなどはもっと単純な知識の問題で、現在のドイツ連邦共和国基本法、いわゆるボン基本法は、西側三カ国の占領中につくられたものです。今ではそれが統一ドイツ連邦共和国の憲法として、きわめて広い範囲のコンセンサスになっています。こういう事実を無視した議論は政治的プロパガンダとは呼べても、論壇の主張とは言いがたい。その他、現在多少とも具体的に出されている改憲論を見ますと,国民の基本権についての議論が驚くほど少ないという特徴があります。
 明治憲法制定当時、文相だった森有礼が「臣民の権利および義務」 ではなく「臣民の分際」とすべしと主張したときに伊藤博文が反論して「森氏の説は、憲法学および国法学に退去を命じたるの説と云うべし。そもそも憲法を創設するの精神は第一、君権を制限し,第二、臣民の権利を保護するところにあり」と述べている。その次の森の再反論には別の大切な論点も出されているのですが、憲法の尊重・擁護義務とは、あくまでも国民が権力の担い手に対して尊重・擁護を守らせるのであって、権力の側が国民に尊重・擁護を求めるのは話が逆だという、その論点の限りでこのエピソードを紹介すれば、こうした一〇〇年以上前の議論が今なお改憲論に引き継がれている。
 憲法に明記された違憲審査は、裁判所が国民代表議会に対て多少とも制限的に働くということです。また国民代表議会についても、両院制というのは、一院だけが国民の意思を僭称することに対して、多少ともブレーキをかける。遡って、憲法改正のために議員の三分の二の賛成という壁を設けていて、さらに加えて直接投票で過半数という、硬性憲法の手続になっている。これも、そのときどきの多数の思いつきで基本が動いてはいけない、仮に主権者の意思を大義名分にしてても、あるいは仮に主権者の意思そのものだったとし
たとしても、それ自身が権力になるわけですから、権力にはブレーキがいる。これが立憲主義であり、法治国家の思想です。
 立憲主義、法治国家というのは、もともとは一九世紀における旧体制側の概念だった。当時は君主の権力が弱くなり、代わって人民代表の力が伸びてくる。人民代表の力を伸ばそうとする勢力にとってのシンボルは民主主義でした。 それに対して今さら君主主義とは言えないから、立憲主義とか法治主義と言う。これは人民の権力も抑制されなければいけないという意味で出された、権力均衡のための考え方なのです。
 一九世紀後半になって、先進国では君主に対する議会の優位が確立し、ゆるぎないものになる。そうなると立憲主義とか法治国家という言葉は一旦は括弧にくるまれて、もっぱら、「民主主義」、「国民主権」 でよかったのです。ところが二〇世紀になると、ナチス体験をする。ヒトラーは絶対君主ではありませんでした。彼は選挙を通じて権力に近づき、人民の名において、ああいうとんでもないことをやったわけです。また、全人民の国家であったはずの旧社会主義国においても、「人民の敵」が粛清されました。人民の権力であっても制限されるべきだという意味で、立憲主義、法治国家というシンボルが、ヨーロッパの文化圏で強烈に再浮上してきたのが一九八〇年代以降です。一九四五年以後の「第一の戦後」、一九八九年以後(冷戦以降)の「第二の戦後」を経て、歴史の教訓を背景にした復権なのです。
 国民、人民の暴走に対する歯止め、ポピュリズムに対する歯止めが、違憲審査、両院制、硬性憲法の原則なのですけれども、期せずして改憲論の議論に、こういうものに対する軽い評価が共通しています。
 そして極めつけは、ある有力新聞社が五年ほど前に発表した、憲法試案の前文に出てくる「民族」という言葉への言及です。これこそ究極のポピュリズムです。コソボでわかる通り、「民族」は今の世界で最もセンシティブな問題です。セルビアのミロシエビッチ大統領は、自分の権力獲得・維持のため、その禁句をあえて発動して悲劇の引き金を引いたのです。そのほか世界中に民族問題が満ち満ちているとき簡単に、しかも単数の「民族」を、堂々と憲法前文に掲げようという無鉄砲さ、これはまさに知識の問題でしょう。
 
司会 タブーを破っていかなければいけないという言い方がさかんにされていますが、憲法改正の議論がタブーたったことがこれまであったでしょうか。占領が終わるとただちに政府によって、改憲のための憲法調査会が設けられた。しかし岸内閣への強い反発があって、政治的な判断として、改憲の旗を降ろした。自分で旗を下ろしておいて、タブーだと言っているのは、おかしな話だと思うのです。
 
樋口 その通りですね。改憲派の人々が六〇年安保を教訓として、選挙で票が減るようなことをしなくなった。これはタブーの話でも何でもなくて、国民主権のもとでの世論に基づいた行動という、ただそれだけのことです。
 
 
司会 一九五七年の憲法調査会には、社会党をはじめとする野党は参加せず、学者の方たちも憲法問題研究会という在野の組織をつくって、理論的に対抗するという動きがありました。今回、憲法調査会に対して野党はどう対応すべきか、また私たちはどういう態度で臨むべきだとお考えでしょうか。
 
樋口 それこそ政治的な判断の問題であって、人それぞれに違いがあるでしょうけれども、私は今回は憲法調査会を設置することに反対した議員の人びとも、そこに入って大いに議論をしてほしいと思います。
 本来はそれぞれの委員会で憲法の問題が、それぞれの生活領域に則した場面で議論されるべきであったのが、議論されないできたのです。いままで徹頭徹尾、憲法論議をすることを避けてきた人々が、にわかに委員会をつくろうということを言い出してきたのです。国会の中に設置されるのですが、もちろん国会自身のことも議論してほしい。今、昨年の参院選でノーを意思表示し、橋本政権を退陣させたはずの国民の意思とは正反対の連立をつくっている。これは、帝国議会のもとでよく言われた言葉をあえて使うならば、憲政の常道違反です。小選挙区で真っ向からぶつかり合った党が一緒になってしまうわけですから、あまりにもべらぼうな話なのです。これなどはまさに国会のあり方に関する憲法問題です。ヨーロッパでの、連立のご都合主義的な組みかえを「立法期(選挙から次の選挙までの期間)契約」というルールで禁じようという提唱なども、参考になるでしょう。
 私は、今は日本国憲法を変えることに反対です。そのことを前提にした上で言うのですが、本気で何か改革をするとき憲法のここを変えなければ、というふうに、地についた議論をしてみることには、意義があるでしょう。
 そういう意味で例を挙げてみましょう。普通の法律について国民投票を導入したらどうかという議論がありうる。憲法四一条には「国会は唯一の立法機関」と書いてありますが、今のままだと国民投票は憲法違反という解釈になるのかどうか。改憲論者の中には憲法改正手続ですら、国民投票はいらないことにしてしまおうという立場がありますし、地方自治体における住民投票に対しては、一貫して否定的ないしは冷淡な立場を取っているわけですが、そういう憲法論もあってしかるべきです。基本権の領域にいけば、問題はいくらでも山積しています。まず外国人の人権の問題。国政選挙に外国人に参政権を認めることになると、これまで普通に理解されていた国民主権とは反することになります。だとしたら、国民主権の例外を憲法に書いたらいいではないかという議論だって出てきてもいいと思うのです。現在はそれとは正反対の方向へ向かっている。
 男女平等の問題についてもそうです。フランスでは選挙で任用される公職についての、男女同数の原則を実現するための憲法改正がなされた。「男の代表」とか「女の代表」という考え方は、全国民の代表の本質に反して違憲というほかないから、改正が必要だったというわけです。そういう議論もどんどんしたらいいのではないかと思いますが、日本の現状は夫婦別姓ですら棚上げになっています。
 おそらく改憲論者の人々は、そんな憲法論議は考えることもないと言って、逃げ腰になるでしょう。その極めつけが環境権です。干潟やダムの問題でも、環境権のために地道な運動をしてきた人びとを援護するどころか、寄ってたかって、その足を引っぱってきた人びとが、憲法論になるととたんに、環境権がないのは憲法の不備だと言い出す。環境運動をバックアップするのに、今の憲法には何の支障もないはずです。
 
 
司会 次に有事法制ですが、先日成立した周辺事態法には、自治体や民間の協力を得ることができるという条文が入っています。その意味で有事法制の一部だとも言えるのではないか。小沢一郎氏などは、盗聴法とか住民基本台帳法だって、有事のために必要だからやっているのだと言っています。もう一つ、周辺事態でできる動員が、なぜ日本有事でできないのかという議論が出てきている。日本に何かあった時どうするのだ。有事法制を準備すべきだ、という言い方です。そもそも有事法制とは、何なのか。現在の日本国憲法の中に位置づけられるものなのでしょうか。
 
樋口 今の時点で有事という言葉を出す場合、まず議論すべきことが議論されていないのではないか。それはコソボ、そして東ティモールのことです。仮に正義のための戦争、正義のための武力介入ということを認めるとしたならば、コソボで起きたことよりも、東ティモールで起こっていることの方がよほど重大だし、明らかに一方の側が一方的に被害者です。だとすれば東ティモールの状態を黙過しないために、あえて単純化して言えばジャカルタを爆撃すべきなのか、というのが論理として突さつけられている問題なのです。
 そういうことをしてはいけないと明確に考えるのか、場合によってはしなくてはいけないと考えるのかということは、他人事ではなくて、真面目に議論する必要がある。そのことをコソボの一連の悲劇は、私たちに促していたはずなのです。社会正義を掲げる社民政権が揃った段階で爆撃が行われたことは日本でも論点となりましたが、今までの西欧デモクラシーの伝統から言えば、それはむしろ自然なつながりです。社会正義を重んじるいわゆる左翼が、正義のための武力行使がありうるという前提に立つ。とすれば武力介入を選択するのはむしろ当然だ、そう考えるべきなのか。
 そう考えるのなら、アジアでも東ティモールに黙っていてはいけない、チベット問題に黙っていてはいけない、ビルマの問題に黙っていてはいけない。少なくとも論理としては、
そう考えなければいけないというシリアスな問題ですが、そこをいい加減にして、有事の際には地方公共団体の長は要請を断ってはいけないなどという話に、いさなり行くのはひじょうによくないことだと思うのです。
 それに対して、正義のためであれ、武力介入をしてはならないと考えたのが、ほかならぬ憲法九条の立場だったはずです。それに自信をなくすのか、あるいは、ますます自信を強めるのかという議論です。有事法制については、緊急事態になってから超法規的に決めると独裁になる、だから前もって決めておくのだという主張がある。しかし有事法制の手続き論以前に、本来されるべき議論がすっぽりと落ちたまま形をつくると、使う人にとって便利なように使われるだけで、有事法制がないよりも悪い。それこそ独裁になるのではないか。
 現に東アジアの開発独裁諸国は、すべて国内有事を発動している。心配がないほど成熟する民主主義はありえないというのは、丸山真男先生が指摘した通りなのですが、では相対的に見て成熟した民主主義の国ではどうか。フランスでは一九六一年一〇月一七日、私は実地でそれを目撃していたのですが、アルジェリア独立運動の大デモンストレーションが警官隊と衝突して三人が死んだと公表されていました。ところが最近になって政府の求めによって作成された報告書では、少なくとも四八人が警察によって殺されたとなっている。これは憲法一六条の緊急権の発動によるものです。四〇年近くたってから、政府筋が公式にこういった事件の真相を追及しようとするような国でも、緊急権というのはこれだけ危ないことをひき起こすのです。そういう深刻さを棚上げしたまま、いろいろなマニュアルを決めておいた方がいいというコンテクスト(文脈)で有事法制が進んで行って、果たしていいのか。
 
 
樋口 考えてみると戦後の日本は、いちばん大事なこと、つまり天皇と戦争責任の問題を暖昧にするのとひきかえに、保守派の方もあんまり悪どいことはやらないという、ある種の馴れ合いの中で五〇年間やってきたのではないか。自衛隊も曖昧、核の問題も曖昧。そのかわり、改憲を建前上、一貫して党是に掲げた政党が三十数年間も政権をとっていても、そこも暖昧にするという、オール暖昧でやってきた。その間、政権を一貫して独占してきた政党は、高度成長によって利益配分をする原資があったわけですから、もっぱら集票機構として機能してこれた。ここへきてアメリカ合衆国の一国支配を意味する「グローバリゼーション」の全世界把握のもとで、急にこわもてになって福祉切り捨て、労働基本権の切り捨てが行われているという状態です。国民の側も今までと同じように暢気にしていると、身ぐるみ剥がれるぞという時代がやってきつつあるのです。それが、まさに世紀の変り目の、今日の状況だと思います。
 国旗・国歌というのはこれまで、学校という限られた空間の外では、多くの人があまり真面目に考えてこなかった。最近までの文部省と教員組合の和解ムードの中で、少なくとも私が見聞する限りにおいては、こう言っては失礼ですけれども”変わり者”と言われるような先生方が、たいへんな犠牲を払って抵抗してきたのに、私たちは傍観してきたのではなかったか。
 それを今度は学校という空間以外に、あえて持ち出してくるということを、国旗・国歌法は意味します。あえて言えば、寝た子を起こした。これからは二つの方向が、措抗する場になるのではないか。法律で決めたということは、法律で否定できる。今度は少なくとも理屈の上で、立法で否定できる存在になったということです。実際、今までになく、国旗・国歌とはいったい何だという議論が、広がってきつつあると思います。
 それに対してもう一つの方向とは、学校内での権力的な強制によって押し広げられてきた国旗・国歌というシンボルが、学校外での非権力的な、たとえば町内会とか「世間」 によって広げられていく。どうしておたくは日の丸を立てないのですかとか、何か特別のお考えでもあるのですかとか、警察ではなくて、町内会の善意の世話役たちによって、思想のコンフオーミズム(信奉)が非権力的に広げられていくおそれです。
 そのときに問題になるのは一人ひとりの考え方だと思うのです。戦争中だって、憲兵隊が日常的にサーベルをジャラつかせながら人びとを威圧していたのではなくて、隣組が、あそこの家は英語の本を読んでいるとか、あそこの家は西洋の音楽を聴いているとか、という風にして圧迫した。それに対して、ノーと言えるかどうか。
 いずれにしても、これまでの「日の丸・君が代には国旗・国歌としての法律上の根拠がない」という言い方から、「国旗・国歌だからこそ、それを拒否することは思想の自由として擁護されねばならぬ」という本質的なところに問題がシフトしたのです。今回の議論の中でいろいろな人々によって紹介された一九四三年アメリカ最高裁のバーネット事件判決は、星条旗への敬礼を拒否した生徒の処分に抗議する訴えを、思想の自由の名において保護しました。その意味を、ドイツと日本を相手に血みどろの戦争をたたかっていた最中なのにもかかわらずととらえるのか、それとも、そうだったからこそと受け止めるのか。両面あることは確かだとしても、私は、後者のとらえ方の中に重い意味を読みとりたい。ナチス・ドイツと軍国日本に対する戦争目的を、自由の擁護という一点に凝縮して示すものだったからです。ちなみにこの法廷意見を書いた判事ロバート・ジャクソンは、やがてナチスを裁くニュールンベルク法廷を準備する連合国の協議で合衆国代表となり、上官の命令を理由として戦争犯罪を免責すべきでない、という原則を立てさせました。国内で異論の自由を保護する判決を書いた彼だったからこそ、その立場は、西と東の軍事裁判がけっして単純に「勝者の裁き」 だったのではない、ということを示しています。
 
司会 いまの経済的なグローバリズムの中で、福祉の切り捨てやリストラなど、社会がだんだん不安定になっていると思うのです。そうした中、敵を想定することで、自由に考えさせないとか、権利を制限していくことで上から国民をコントロールしていこうとする
ものが一連の立法であり、有事法制なのではないでしょうか。
 
樋口 上から押しつけると同時に、かつてそうだったように、下からの柔らかいコンセンサスによっても包囲網を作っていこうとする。それには日の丸と君が代、とくに日の丸は最適だという判断が推進者にはあるのでしょう。
 
 
司会 憲法は私たちの社会の基盤ですが、その憲法について論じるときにあらためて原則とすべきものは何なのでしょうか。
 
樋口 主権者とは、自分が決めるということです。自分自身の生活のあり方を自分で決めるということ。同時にそれは世の中の動きも自分たちで決めようとするということです。
 そういったことを日本の歴史上はじめて、明解な形で公的な保障として掲げたのが日本国憲法です。その中では日本国憲法をおかしいと考える自由も保障している。憲法自身に罵詈雑言を言う自由は、帝国憲法のもとではなかったのです。
 日本国憲法にはそういった緊張感がある。外国では憲法の基本原理に対する反対は許さないという定め方を、憲法自身がしている例もあります。たとえば人権や人間の尊厳という思想を、真っ向から否定する言論には表現の自由を与えない。あるいは、他国民への憎悪を宣伝するような言論には自由を与えない。ヨーロッパ諸国の憲法や法律はナチス体験の教訓から、多かれ少なかれ、そういう定め方をしています。
 しかし日本国憲法はそういう定め方をしていない。その意味では特別なのは九条だけではないのです。話す人間の品性を疑わせるような言論−−差別的言論であれ、あるいは、あったことをなかったことにする、アウシュビッツはなかったのだ、南京大虐殺はなかったのだ、あるいは、なかったに等しい、戦場ではどこにでもあるようなことがあっただけだという議論−にすら、表現の自由を承認している。
 日本国憲法は自身を罵倒する自由をも保障している。前提となる知識を欠いたままの議論が、現に横行しています。それもまた日本国憲法は保障している。そういう日本国憲法が掲げている理念を擁護するというのは、自ら難しい戦場に身を置いていることなのです。しかしそれは日本国憲法の弱点ではなくて、名誉であるはずです。
              
  (聞き手・編集部◆岡本厚)