【講演集】
第3回憲法講座〔2005年5月21日:ルネッサンスホテル〕
 
「私の主張 日本国憲法をどう考えるか」
 
                          福山大学教授 田 中 秀 征
 
 皆さんこんにちわ。
 今日は憲法について考えていることを述べよということでお招きいただきました。どうして私が呼ばれたのかよく分からないし、隣りに加藤さんがいるのもよく分からないのですが、いい機会ですから最近考えていることをお話ししてお許しをいただきたいと思います。時間が限られているので多少早口になることをお許しいただきたいのです。
憲法調査会最終報告は「集約し難いという結論が集約された」という印象
 先月、衆議院と参議院の双方から5年間に渡る憲法調査会の最終報告が出ました。それなりに楽しみにしていたのですが、出たものを見たらうんざりしたという印象です。意見集約ということですが、一言でいうと、集約し難いという結論が集約されたと私は思っています。
 最近、いろいろ世論調査をすると、憲法は改正した方がいいだろうという人たちが増えているという傾向にあるといわれていますが、今回の最終報告を見ながら私の考えているところを、いわゆる改憲論といわれているものに3つあると思っています。改憲勢力として3つの勢力があると思っています。
改憲論には三つの勢力
ー自主改憲派ー
 1つは自主改憲派。これは昭和30(1955)年11月15日に保守合同によって自由民主党が結成されるのですが、その中の自民党の綱領の中に自主改憲をうたっています。どういうことかというと、憲法は自分でつくれと。ですからこの背景には現行憲法が押しつけ憲法であるという感じになっています。これは時代背景があって、昭和20年代に野党であった保守勢力プラス追放解除組みの合流によって、当時の自由民主党は自由党と民主党が一緒になってできるのですが、民主党側の主張が折から冷戦が非常に厳しい状況になってきている中で、自主改憲が自民党の旗印になったと理解していいと思うのですが、要するにいまの憲法を最初から嫌だという人たち、この改憲派です。
ー漫然改憲派ー
 2番目は漫然改憲派、何となく改憲派というものです。言葉でいうときには時代に合わなくなった。60年も経ったら変えた方がいいとか、そういう改悪なら反対だけれども、改正なら賛成だという話も聞いたことがあります。いろいろな不備があります。当然のことですがその不備を直す。例えば憲法には価値規範といわれているもの組織規範といわれているものがありますが、我が国が目指すところ、要するに価値目標というのを掲げた部分と、もう一つはそれを実現していくための組織規範。内閣とか国会とかそういうものですが、その組織規範の面でいろいろいままでの経験上不備もあるし、またこうではない方がいいという、例えば二院制はやめた方がいいという議論などは、そういう議論の中から出てきているのですが、変えるところはいっぱいあると私もそう思っています。この漫然改憲派と言いましたが、こういう改憲派というのは、あまり緊急性を要しないのです。変えるなら悪いところもあるから変えてもいいと。こういう感じで、かなりの部分を占めると思うのです。
ー内外の環境が憲法の転換を迫るー
 もう一つは、内外の環境が日本国憲法に対して緊急かつ重要な必要性が生じて、憲法の転換を迫っているということです。
 いちばん最初のものは、自分の与えられた洋服が自分に合っているか合っていないかはともかくとして、人から与えられたということが面白くない。だから自分でつくるのだというのが自主改憲派です。かつて改憲派だと言われた亡くなった稲葉先生と話したときに、内容は同じでもいいのだと。もう一度日本人がつくればいいのだという話です。稲葉先生などは、非核三原則を入れてもいいのだと。とにかく押しつけられたことが嫌なのだと。ところがこれは皆さんもご承知だと思いますが、昭和20年から21年にかけての憲法の起草段階で、日本は新しい構想の下に新しい憲法を作り上げていくだけの政治基盤がなかった。いろいろな憲法草案が出ましたが、全く帝国憲法のほんの手直しぐらいの案しか作れなかった。押しつけられたのではなくて戦後世界を構想する力に欠けていた。だからこうなったということも言えるのです。要するに自分で洋服を用意する力がなかった。だから特に昭和20年代の野党勢力が自主改憲ということを言っていて、またその期間に追放されていた人たちが戻ってきて、最初から与えられた洋服が気にくわない。これはいままで尊重しながら着てきたけれど、どうも体に合わなくなってきたから、合わなくなった部分を変えようという考え方です。二つ目のもの、急速に増えている部分というのはこの部分ではないでしょうか。
 例えば具体的に言うと、プライバシーの権利とか環境権とか、内外の時代環境が変わってきている。だからそれに対して耳を傾ける必要があります。だからといって緊急の必要性があるかといったら話は別で、例えばプライバシーの権利でも環境権でも、日本国憲法の大きな精神からいったら、当然それによっていろいろな基本法を作っても、法律をつくっても憲法の精神に反することはないのですから、書き込まなくても当然それは政策として展開できるといわれればそれまでの話です。三つ目に、問題はなぜこうなったかという核心部分には、こういうことを思っている人がいる。 緊急かつ重要な必要性が生じている。極めて具体的にいうと集団的自衛権の行使です。集団的自衛権を行使できるように憲法を改めようと考えている人たちが、相当緊急な必要性を感じている。
衆・参議院報告書では集団的自衛権の行使についてはぼかされている
 ところが今回の衆参の報告書を見てもこれはぼかされています。いろいろな意見があるということで意見が羅列されているだけです。2〜3日前の皆さんの代表である岡田さんが、外交に関する岡田ドクトリンを出した。どう書いてあるかというと、この集団的自衛権についてはぼかしています。私は残念だと思っているのですが、彼自身はきちんとした考えを持っているのですが、問題は憲法を変えるべきか変えないべきかというときには、いま何を議論すべきかというと、集団的自衛権の行使というのは本当に必要なのかどうかということを議論すべきなのです。それがいちばん迫られていることだと思います。
日米安保体制で集団的自衛権を行使するには相当な覚悟が必要
 結論から私の考え方をいうと、集団的自衛権の行使の必要性はないと私は思っています。これを書き込む必要はないと思っているわけです。具体的にいうと、非常に具体的な緊急かつ重要な必要性がある、非常に具体的なところから出てきているのですが、これは日米安保体制です。日米安保で、よく片務制だといわれています。これは双務制を持ったものです。日本の鹿児島あたりに侵略軍が来た。その時、アメリカが手伝ってくれる。アメリカがそれに対して武力行使をして防ぐ。フロリダにどこかカリブ海のある国が攻め込んできたと。あるいは他の国が攻め込んできたと。日本も出かけていったと。これは完全に双務制を持っています。日本だけやってもらって向こうがやられた場合、やってやるなり、これは片務的な条約ではないかという議論も昔からある。だからお互いにできるようにするという話です。
ーアメリカの戦争に全部付き合えるのかー
 ところがこれをやるには相当の覚悟がいります。一つは、具体的にいうとどういうことかというと、ニュージーランドやカナダと軍事同盟を結ぶのと、スーパーパワーの世界政策を展開する国との軍事同盟は全然違うのです。例えばカナダとわれわれが集団的自衛権の行使ということになって同盟関係に立つとしたら、カナダは戦争をしないです。だからずっと30年経っているけれど、お互いに何もしないと。いざとなればといってもない。アメリカは毎年やっています。だから集団的自衛権の行使を考えたとき、具体的に相手国はどこかということと同時に、相手国の政策展開とかそういうことをよくよく考えた上でやらなければ、本当にアメリカのやる戦争、これは先制攻撃ということになってくると、アメリカが攻められた場合だけではない。それに全部付き合う覚悟があるのかということ
です。
ーアメリカの有志国連合を強化していいのか、もう一つの国連づくりになるー
 同時に、もう一つはアメリカの場合に同盟関係を非常に放射線状に結んでいます。これがアメリカが何かあったときに駆けつける有志国連合。このアメリカを中心とする同盟関係による有志国連合というものを強化するということは、当然のこととして国連機能を弱めていくということ。当然もう一つの国連をつくっていくということになります。それでいいのかと。それほどアメリカのしていくことを今後とも過ちがないのかということを考えて、それに対してどれほどわれわれの意見を通せるのかということを考えなければだめです。
国連は加盟国に51条で集団的自衛権の行使を認める規定
 問題は、この日米同盟を強化するために集団的自衛権の行使が必要だと。だからこれができるように憲法を改正しようというのが、緊急で重要な必要性に迫られている人たちはそう考えている。これは確かなことだと思います。しかしそれはぼかされているのですが、問題は国連との関係にあるのですが、皆さんご承知のことだと思うのですが、いわゆる自衛権というのは、個別的自衛権というのと集団的自衛権という二つに分けて言われているのですが、これは国連憲章の51条に規定されている言葉ですが、国連というものは警察だとする。Aという国がXという無法国に攻め込まれると。こういうときには国連が駆けつける間、国連に電話してすぐに来てくれと。国連がいろいろ決めたり、用意したり、出動までに時間がかかる。その警察が来るまでの時間がかかる間にやられたら困るから、自分で守ってもいいというのが国連憲章の51条で規定している。このXがうんと強い場合にはやられてしまうから、仲のいい国と一緒に自分を守ってもいいというのが集団的自衛権です。だから国連が出動するまでに時間がかかる間、必要だということで、国連憲章の中で集団的自衛権というのは、加盟国に行使を認められているわけです。
日本国憲法は冷戦を想定しておらず、国連憲章との整合性が重視された
 ところが東西冷戦が終わって環境が大きく変わりました。私は戦後のところをずっと振り返ってみると、日本との関連も非常に重要なことですが、日本国憲法というのは冷戦を想定していないのです。日本国憲法というのは、1946年2月に10日足らずの間にマッカーサー司令部で集中的に起草するのですが、この集中的に起草されたものを日本政府は受け取って、政府原案として発表したのが1946年3月5日です。ところがほぼ同日に、もうその時は首相を降りていたイギリス首相のチャーチルが、アメリカでいわゆる冷戦が開始された宣言となる演説、鉄のカーテン演説というのをやるのです。ほぼ同時なのです。それで一つの典型的な姿として、49年に毛沢東が蒋介石を台湾に押し出して、人民中国というものを成立させた。翌年、朝鮮動乱が始まり冷戦が激化していくのですが、この日本国憲法ができるまでは冷戦というのは頭になかった。国連が機能するという前提だったから丸腰でもいい。警察に届ければすぐ駆けつけてくれるから、自分で守る力がなくてもいいという前提です。ところがただちに機能麻痺に陥るわけです。この辺のところよく調べてみましたが、マッカーサー司令部は起草委員会に対して、起草の直前に4箇条の基本的な起草方針を出しているその中の一つに、国連との整合性をうたっているのです。国連憲章というものを念頭に置いて起草しろということです。
「無法国は、国連軍が対応」方針が崩れ、冷戦勃発し、日本は保安隊・自衛隊創設へ
 要するに国連憲章と日本国憲法というのは、ある意味で補完的というか、国連憲章というものを念頭において起草するという姿勢が少なくとも一つ指示してあった。具体的にどういうことかというと、国連の警察機能、第7章といわれている無法国が出てきた場合の軍事的制裁、国連軍というのが機能するという前提で日本国憲法が出来上がった。冷戦が勃発したので、止むに止まれず結果的に警察予備隊が保安隊、自衛隊というものを組織して、日米安保という個別的自衛権と集団的自衛権というものを強化していくという方向をある意味で取らざるを得ない結果になったと考えると、90年代に入って冷戦が終結したという環境は、言ってみれば1945年の国連創設当時に国際環境が戻ったということが言えます。
冷戦の下で棚に上がっていた歴史認識問題や国連の機能強化についてが課題に
 冷戦が勃発して終わるまでの間は、キセルの竹の部分が取れてしまったから、これは歴史認識の問題についても言えます。冷戦というものが激しく戦われて棚に上がっていた歴史認識の問題です。冷戦が終結したので棚から降りてきたのが歴史認識の問題で昔のことではないのです。
 要するに東西冷戦が激しい間、棚に上がっていた。それが同じように国連の機能強化という課題についても、90年代に入ってから、国連がそれだけ頼れるかというと頼れない、国連が強くなるのは加盟国による努力によってしか強くならない。国連が弱いから相手にしないという話ではない。弱かったら強くしろと。それは加盟国の義務ということになってきます。
 こういう状況で始まったのですが、第一次吉田内閣で、憲法制定に深く関わった金森徳治郎さんという人がいます。息子はエコノミストで金森久雄さんですが、この金森徳治郎さんは第一次吉田内閣で国務大臣をやった。この金森久雄さんが2ヶ月ぐらい前に日本経済新聞の「私の履歴書」に書いていて、それを見て私はハッと思ったのですが、父は新憲法について、国連に加盟したときには憲法は見直さなければならないということを家の中でブツブツ言っていたということを書かれていました。これはそれ以上のことを書いていません。
石橋総理(1956年12月に就任)は、国連に加盟して義務も果たし、役に立つため国連警察軍への参加を検討していた……
 もう一つは、私がいちばん尊敬している人ですが、石橋湛山という2ヶ月総理大臣をやった人がいるのですが、冷戦が終わった直後に、こういう状況の中で石橋湛山は何を考えていたかというのを当時、私は本当に石橋湛山全集などを読んで調べてみましたし、昨年、石橋湛山についての本を書くときも、もう一度このところを調べ直しました。
 結局、集団的自衛権と集団安全保障、対比されている言葉ですが、集団安全保障というのは、先ほどの話でいうと警察の方の問題です。石橋湛山は、昭和31年12月14日、自民党総裁になった。総理大臣になったのは23日です。ところがこのちょうど真ん中の18日に日本は国連に加盟しているのです。当時、日本が加盟するには、アメリカとソ連が激突していた時代ですから、双方が一カ国ずつ出すというので、相手は確かモンゴルです。向こうから一国、こちらから一国ということで加盟した。その時の18日に国連に加盟して23日に石橋内閣ができたわけですから、総理大臣の就任記者会見で、記者はこのことについて聞いています。国連加盟について感ずることを言えと。その時、石橋湛山がいちばん強く言っているのは、国連に加盟した以上、国連に世話になることばかりではなく、国連の役に立つということを考えなければならないと。権利ばかりではなく義務というものを果たさなければならないということを強く感じているということを言っています。その時に言葉として軍備という言葉を使った。具体的に言うと、国連が警察活動をする場合、国連が無法国を懲らしめるために国連軍のようなもの、国連警察軍のようなものを組織するとしたら、それについては参加しなければならないという考え方を石橋湛山は持っていたのです。ところがそれが現行憲法下で可能かどうかについては、現在、研究し検討しているという答弁だった。
 ところが残念なことに2ヶ月で退陣してしまうので、研究し検討しているその結果が出る前に退くのですが、全体の中で石橋湛山全集をいろいろ細かく読んでみまして、私の見るところでは、石橋湛山というのは、現行憲法下でも恐らくできるのではないかと。具体的に言うと、国連指導の無法国の軍事制裁について、日本が実力部隊を派遣できるかどうかという問題です。現行憲法下でできるかどうか検討していると。
現憲法下で国連警察軍への自衛隊の派遣は可能か否か、民主党内は……
 いま言えば、民主党内でいうと、現行憲法下ではできないと。やるべきだけれどもできないと考えているのが岡田さんです。現行憲法下でもできると。やるべきだけれどもできるという考え持っているのは小沢一郎さんです。だから意見が違うと言われているのですが基本的には同じです。集団的自衛権、同盟関係を強化していくことよりも、国連の機能強化、そのためにわれわれは実力部隊も派遣すべきであるという考えは同じです。ただそれが現行憲法下でできるかできないかについて意見が違っている。
 意見の違いとしては、私はたいした問題ではないと思っています。何をするかという話であって、私も大筋でこういう考え方を持っています。アメリカとの同盟関係というものをやめろという話ではないのです。あくまでも最終的に二者択一を迫られるという段階になったときに、どちらを選ぶかということです。集団安全保障というものを大きく見る人は、当然、一言で言えば国際協調重視という言葉があります。日米同盟というのも国連憲章の51条によって認められているものですから、普通はこれが対立するはずがない。だけれども同盟の当事国が国連決議を軽視するという形になったときには二者択一を迫られる結果になる。
ブッシュ米政権のイラク開戦、それを支持した小泉首相も間違いだ!
 イラク戦争の開戦はそうです。私は歴史的な間違いだと思っています。戦争を始めたのもそうだし、これを支持した小泉さんも歴史的な間違いを犯したと私は思っています。
 国際協調か日米同盟かということをもっともっと議論を深くしていって、そして憲法改正が本当に現在必要なのかどうかというところに到達しなければいけないのです。ですから岡田さんの今度のドクトリンもそうだし、国会の最終報告もそうだけれども、いちばん困難な問題について、やはり触れてはいるけれど結論は出さないという形になっています。
現実的には改憲熱は急速に冷え込んでいくのでは
 私は現実的には改憲熱というものは急速に冷え込んでいくと思います。そうであれば、それはそれでいいではないかと私は思います。もっと東アジアというのが安定的な状態になる。あるいは国内的には、第一線の再建というものに対して展望が開けるという、内外の需要課題を解決した目処が立つまでは、冷え込んでいてもいいではないかと思っているのです。
 この議論は、是非もっと大がかりにやってもらいたいです。小泉さんは、どちらかといえば、ずっと国際協調派だったと思います。それなりにお付き合いをさせていただいて議論もして、イラク戦争のときは当時の新聞報道を見ても、私は外務官僚に持って行かれたと思わざるを得ない。しかしああいう結論を出してブッシュ大統領の戦争を支持するということになったから、ギリギリの段階で日米同盟を採択した。だから一つの政界の潮流として、集団的自衛権、日米同盟を選ぶか、ギリギリの段階で国際協調を選ぶかという二つの流れができてきているし、両方とも大事ですから、片方を無視しろというのではないのです。ギリギリの段階で二者択一を迫られたときどちらを選ぶかということで、自民党と民主党の間に非常に明確な流れの違いが私は出てきたのだろうと思います。そういう議論が表に出ないで、むしろ引っ込んでいて、ただ漫然改憲派というのが前面に出てきていると。時代に合わないとか、それはそれでまた改憲熱というのが非常に困難な改正手続きを突破するエネルギーというものを蓄えていると私は思わない。
日本の国連への実力部隊の派遣について、近隣諸国の不安感は無視できない
国連を強化するために国際協調が不可欠
 ですからこの辺の議論、特に私は土井たか子さんとこの問題で議論をしたことがあるのです。実力部隊を派遣できるか派遣できないかということについて、これは国権の発動としてやるわけではないので、明確に土井さんも拒否しなかった。相当前に話をしたのですが、ただ第二次世界大戦で日本の武力行使に対して、まだ近隣諸国、国際社会には不安感というものが付きまとっているときには、現実的判断として考えていくということがもちろんあってもいいのですが、やはり国連という警察で危ないことをするのは、他の国に任せておくというわけにはいかない。だから国連が弱い、これからも強くなりそうもないのだとしたら、それを強くするための支えとなっていく。国際協調が不可欠である。
アメリカの有志国連合、チャイナ・イスラムパワーも入った国際協調に軸足を置くべき
 どうして国際協調が問題になるかというと、違う面から見ますと、アメリカが有志国連合をつくった場合、これでは手に負えないものが二つあります。それはチャイナパワーとイスラムパワーです。これはこの力でねじ伏せることができないのです。21世紀のもっとも大きな力です。中国パワー、要するにもっと広く世界に散らばるチャイナパワーとイスラムパワー。ねじ伏せることができないのです。ですからイラク戦争が終わって、あと思わしく展開しないのは過信したとしか思えない。だからこれではなくて、これを強化していくというのは日米同盟強化による世界平和です。有志国連合を強めていくという展望ができますから、やはりイスラムパワー、チャイナパワーも入った国際協調というところにわれわれの軸足というものを置いていくということが必要だと私は思うのです。
日本国憲法は改正手続きが困難な硬性憲法 よって解釈改憲が頻繁に行われてきた 
 解釈改憲というのはいけないという話を付け加えますが、私なども解釈改憲反対と言われても仕方がないのですが、これは憲法をいろいろな分け方があるのですが、改正手続きの難しさということから見て、硬性、軟性というのに分ける。日本国憲法というのは、改正手続きが困難であることについては、すこぶる付きの硬性憲法です。国連憲章などもそうです。国連憲章を変えるのは非常に困難な手続きが必要ですが、しかし改正手続きがそれほど困難でなくて憲法を変えうるような国々もあります。他の国はだいたいそうだと思うのですが、ですからそういう国では、硬性の憲法を持っている国では、憲法を変えていくということが、例えば衆参で3分の2の議員、しかも出席議員ではなく総議員の3分の2の発意によって、それを国民投票に問うという、皆さんご承知のような非常に公正な憲法です。そうしますと変えるのが難しいということでどういう手段があるかというと、要するに拡大解釈と類推解釈というのが頻繁に行われるようになるのです。拡大解釈と類推解釈によって、憲法を変えることが難しいということを乗り越えようとしていく。それでしのいできた部分があります。これは解釈改憲というのです。
解釈改憲をもっても集団的自衛権の行使は代え難いハードル
 しかし解釈改憲をもってしても集団的自衛権の行使というのは、政府見解ももちろんあるのですが、代え難いハードルです。だけれども私は個人的に思うのは、自衛隊を現行憲法上認めるということの困難さと比べれば、憲法の国際協調の精神からいって、国連が主導する制裁行動に、日本が実力部隊を派遣できるということの方が解釈としては困難ではないと私は思っています。遙かに自衛隊が軍隊ではない、戦力ではないということの方が解釈改憲としては難しくて、これは金森徳治郎さんとか石橋湛山という人は、憲法の見直しが必要だということを真剣に、要するに国連に実力部隊を送るということを想定して、そのときだけは憲法を考えなければならないと思っていたみたいだけれども、やはり自衛隊を合憲だということよりも、私は解釈改憲としては無理はないと思っています。恐らく小沢さんもそう思っているから憲法を変えなくてもできると。しかしこれも議論の末であって、やはり憲法で書き込んできちんとその部分はした方がいいということであればしてもいいのであって、ここはいろいろ率直な意見をぶつけ合って合意形成をしていけばいいのだと思います。ただ今回残念ながらそこまで至ってないのです。
重大事項の憲法改正には権力基盤、政治基盤の重大な転換が必然
 それが私の問題提起ですが、私は憲法について昔から思っているのは、憲法というのは新しい時代の所産だと思っているのです。新しい時代が新しい憲法を生むのであって、新しい憲法が新しい時代を生むのではない。明治維新が明治憲法を生んだのです。先に明治憲法があって明治維新が発生されたわけではない。憲法が先にできたという話を私は聞いたことがない。そもそもそういう意味で相当無理があります。だから憲法を改正し基本的に今回のような部分を変えるには、やはり権力基盤とか、政治基盤の重大な転換があった場合に限られます。憲法の大改正というのは、新しい権力基盤の勝利宣言です。憲法の持っている意味というのは、旧体制に対する決別宣言です。例えばスターリン憲法といっても、スターリンの権力基盤が固まったときにできるのです。憲法によってスターリンの権力基盤が固まっていくという話ではない。自らの権力基盤を正当化するために憲法をつくっている。だから新しい権力基盤、新しい時代状況というものが憲法を生んでいくのであって、憲法が新しい時代をもたらしているわけではないのです。
坂本竜馬や高杉晋作の書物には明治の精神が感じられる
 ここが本当に問題であって、よく明治の精神というのは坂本竜馬の「船中八策」などに出ています。それから高杉晋作の書いたものをいろいろ見ても、明治の精神みたいなものが垣間見られます。そういう時代転換を図った指導者達が持っていた志とか信念というののが実って新しい時代ができて、それが一つのモニュメントみたいな感じで新しい憲法がつくられていくという流れになっているのであって、既成の政治勢力の合議によって成されて憲法ができていくという例を私は知らない。ですからそういう意味でも現在の改憲論議というのは、やはりある意味で最終報告が頂点になって終わってしまったのではという感じがするのです。こういう意見とこういう意見がありますと、まとめるとこうなりますと。こういう感じの最終報告がまともにやった段階で、エネルギーというのはずっと散らばってしまったのではと思います。
 ですから状況的には、これから本当に本気に改憲の必要があるのかと。改憲するとしたらいったい一番大事なところはどこかと。先ほど申しあげたようにプライバシーの権利とか環境権という問題は、まさに戦後日本国憲法の精神にもっとも沿うことであるから、それを書き込むというのは必要があるのかといえば必要があるけれど、それはその機会があったときに書き込めばいいのであって、その精神に沿うものであったら、法案の作成、法律の制定についても、政策の展開についても、憲法と損を来すような話ではないのです。 結局突き詰めていくと、集団的自衛権をどうするかというところに行き着いてしまうのです。この議論は本当にこれから各政党が明確に考え方を打ち出して、この次の国政選挙で考えていかなければならない。
集団的自衛権を行使せず戦後日本社会を築いてきた成果を大事に、国際協調の路線を歩む
 最近の自民党の議論の中に、これは知恵を付ける人がいるのですが、集団的自衛権の行使を認めろという財界筋の、財界の全てがそういっているわけではないのですが、それを明記しろという財界筋からの提案などもありますが、それに対して自衛権というものを書き込めばいいという知恵を付ける人がいるのです。どういうことかというと、自衛権というのは個別的自衛権と集団的自衛権というものに分けることができる。これは国連憲章中に明確に明記されているので、自衛権という言葉を書けば、その中には集団的自衛権も含まれるから、あまり集団的などと付けて波風を起こさない方がいいという議論です。そういう知恵を付ける人がいたわけです。この辺のところは本当にしっかりわれわれは考えていかなければいけないし、せっかくいままでそういう集団的自衛権の行使というものを見合わせて、われわれは戦後社会を築き上げてきたその成果を台無しにしてしまうというか、それからこれからの国際社会の安全保障ということを考えても、やはり同盟関係を強めていくことによる有志国連合による力による統治ということよりも、チャイナパワーとかイスラムパワーも巻き込んだ形での国際協調路線ということを選んでいくべきということではないかと思います。そういう観点から、これから私自身も憲法問題を考えていきたいし、皆さんにもそういう観点から考えていきたいと思います。
 この辺で終わりにして、また後でお話しさせていただく機会もあるということなので、その時にまた足りないところは補いたいと思います。ご清聴いただきまして、ありがとうございました。
 
「私の主張 日本国憲法をどう考えるか」
 
                           衆議院議員 加 藤 紘 一
 
 
 どうもみなさんこんにちわ、加藤でございます。いまから10年ほど前に自・社・さ政権というのができました。自民党、社会党、そしてさきがけですが、その社会党と自民党が一緒になって政権をつくるという大変ドラマチックな政治劇が4年ほど続きましたが、その時に社会党の中核部隊は自治労でございまして、その自治労の後藤森重さんと、村山政権をどうやって支えていくかということで話し合ったり、一緒に仕事をする機会が大変多くありました。そういう中で後藤さんと非常に近いご交友をいただいて、後藤さんから今度、北海道の連合で憲法の勉強をして5回ほどシリーズをやるけれど、自分たちの意見に近いところも十分聞く。ただ、いま自由民主党ということで憲法論議がだいぶ動いているようだけれども、自民党の中の話をちょっとしてみてくれないかと。そして合わせてあなたの意見も聞いてみたいと。連合というのは、いまどういうふうにこの問題を考えるのかいま固めていないし、そしていま固めようとする勉強の段階なので、思う存分自分の思うことを言っていただいていいということでしたので、考えるきっかけの一つのデータになるかもしれないと思いやって参りました。
自民党は4月4日に憲法起草小委員会の要綱をとりまとめ
 自民党は4月4日に憲法起草小委員会の要綱というものを定めまして、もちろんこれは新聞に発表されておりますが、とりあえずこんなところですよというのを発表しました。 実際は、本当は憲法の条文を全部つくってみたいと。そしてこれをとりあえず与党の公明党と話をし、そして今度の憲法の改正というのは、どう考えても民主党と合意をしない限り進まないわけです。3分の2の国会の同意を得て提起するわけですから、これは民主党と命をかけて対決するということで憲法改正案というのは出せないわけです。発議そのものができないわけですから、ですから叩き台として条文まで出したらどうかという議論もありました。中曽根さんなどはそうしたいという思いが強かったようですが、ちょっと待ってくださいと。そこまでやってしまいますともう妥協できなくなりますから、出したには出したけれど、ズタズタに公明党から注文が付いて文章が変わった。特に民主党に国会内で変えられたということになりますと、こっちのメンツもありますから、とりあえず条文にするということはしないで、こういう問題点があります。似たようなことで、とりあえずまとめてみたらどうかというのが要綱のとりまとめです。
9条については、平和主義、自衛軍の保持、シベリアンコントロールを明記
 その中で憲法の9条、特に安全保障については、皆さんは非常に興味があるでしょうからそれだけを言いますと、このところは今後とも平和主義を明記すると。それから自衛軍を保持すると。この自衛軍は国際の平和と安定に寄与することができるというものとすると。それから総理大臣を最高指揮官として、いわゆるシベリアンコントロールをちゃんと書き込むと。こういう3項目ぐらいでまとまっていまして、条文にはなっていないということです。
 天皇陛下は象徴天皇制であって、天皇陛下を元首としようという意見もありましたと併記していますが、元首とするというのには反対論が非常に強くて、その程度でないと、とにかく党外に出せないのではないかと。とにかく協調して行かなければだめだからということで書かれています。
 まとめの主役は舛添要一議員などが中心になっているものですから、比較的、合理的、理性的に押さえたものになっています。
私は、自衛隊を軍隊として保持すべき
 そういう中で私の意見はということを申しますと、いまの田中秀征さんのお話を聞いて、憲法改正をめぐる戦後の歴史的な分析というのは、だいたい似ているなと思いまして、あまり足すことはないという感じがして、やはり同じような世代なものですから、感覚的には似ているのかもしれません。似ているというと当人は嫌がるかもしれませんが、今日はこれを聞いていて若干大学の講義風でしたが、なるほどと思って聞いていました。
 ですから私は憲法9条の問題について私の意見を申します。自衛隊は保持すべきだろうしこれは軍隊です。防衛庁長官を2年ほどやりました。日本国の自衛隊の能力は、毎年の予算面および既に蓄積された装備面から言いますと、世界の中でも5つに入るだろうと言ってもいいだろうと思います。強烈な力をもっています。       
自衛隊の能力は世界の五指に入る実力、北朝鮮は日本の防衛費の20分の1
 私は選挙区に行っていろいろなミニ座談会をするのです。特に訳ありまして1年半程議員を辞めて浪人しておりましたので、その間、750カ所ほど選挙区の山奥で20人から多くて40人程度のミニ座談会をずっと毎日3カ所ぐらいやっていたのですが、ある時、「加藤さん、今日はマスコミの人もいない。われわれだけの話だ。だから率直な質問をする。北朝鮮と日本が戦ったら、どっちが勝つか」と言うから、「体制は1週間で決まるでしょうね」と言ったら、わが有権者達は真っ青になりまして、「日本というのはそんなに弱いのですか」と言うのです。逆ですよと。つまり日本の自衛隊、特に空軍、ちょっと足が短いのですが、アメリカの三沢における対置戦闘機部隊と一緒になってやった場合は、それはものすごい力でありまして、自衛隊だけでもたいした力です。
 特に北朝鮮の方は、ものすごく装備面等では力が弱い。北朝鮮のテレビで、時々ものすごく怒ったようなアナウンサーが出てきてやっていると、えらい強そうに見えるし、そこでパレードなどがダーッと出てくると大変なものですが、あの国のGNPは、日本のトータルGNP530兆円に比べると年間3兆でしょう。ですから200分の1の国と思っていい。日本の防衛力はご承知のようにGNP1%ぐらいでして今年で5兆円ぐらいです。あの国のトータルGNPで3兆しかない。日本の防衛庁が使っているお金の半分ぐらいしかないので、だからその防衛力にいくら使っているかということを新聞、テレビで書くことは滅多にないのです。私も意図的にいろいろなところから情報を集め、例えば我が国の自衛隊、防衛庁が持っているデータ、それから特に韓国の銀行筋の経済面から見た推計等々を見ますと、そして北朝鮮もそれなりに数字を発表するときがありますから、そういうものを総合すると2500億円と見ればいいと思います。日本の防衛費の20分の1です。
北朝鮮の軍隊の実相
 と言ってもあの国には戦う力がある。意思がある。そして兵隊さんの給与を殆ど払わないで、タダで使っているのでしょうという意見があるし、それはそうかもしれませんけれど、しかし航空機というのは外国から国際価格で買ってくるのです。特に原油は外国から買ってくるわけです。買うお金がありませんから、ほとんどガソリンを無駄に使えないから、おそらく航空機、戦闘機というのは、ソ連製をいくつか持っていますが、これをオペレーションする十分な原油はありません。特に訓練している油はありませんので、自衛隊の専門用語で練度というのですが、どうやって上がって操縦するか。練度はほぼゼロに近いと言っていいぐらいの状況ではないではないかと思います。
 ですから戦いになるとどちらが制空権を取るか。つまり自分の空の上を自由に相手側の飛行機が行動するようになったらお終いですから、ミサイルで撃ち落とそうとするわけですが、昔は高射砲といいましたが、それぞれの能力等々考えると、私は1週間ぐらいで制空権は日米側が明らかに取ってしまうのではないかと思います。ですから軍事的には自分たちは非常に脆弱であるということを北朝鮮は全部知っていますし、アメリカは当然のこと知っていますから、ですからあの国にとっては、ゲリラを送り込むぞという脅ししか、核を持っていますよということしかない。サダムフセインは持っていないのに持っているといわれましたが、北朝鮮はもしかしたらほんのちょっと持っているかもしれないけれども、それをいかに大きく持っていると見せるかというのが勝負の国でして、ですからそれは見事な情報操作をやっている国だと思います。
仮に北朝鮮のミサイル攻撃で、ソウルは大変な被害
 そんなことを日本のテレビ、マスコミは書いていないではないかと。だからあなたの言っていることは嘘ではないかと言われるかもしれませんが、おそらく北朝鮮というのは、事実上軍事的な能力としては非常に低いのであるということを専門家的に言ったら、その記事は分かっていますが、記事にはならないということをある軍事問題を取材に来られた専門アナリストが言っていました。ですからわれわれは北というものを非常に深刻に考えているし、もちろん万が一一発撃って、それが核能力ではなくて普通のテポドンであったとしてもそれは大変なことですし、特にいちばん大きいのは、38度線から約5〜60qしかないソウルは、いざとなったら大変な被害を受けますから、韓国の気持ちは強烈なものだと思いますが、しかし能力としてはたいした能力ではない。
日本の自衛隊は、軍隊、軍事力である。自衛の軍隊はもつのは当然
 一方、我が国の能力はすごいものである。ですから私は日本の自衛隊は、軍隊であって軍事力であると思います。また自分の国を守るということは当然でありますので、自衛のための軍隊を持つことはできると明確に改憲した方が私はいいと思いますし、7〜8年前、中国に私は行って、中国のNC9みたいなある全国放送の夜のニュース番組で長いインタビューを受けましたが、そこでも私は日本は改憲で自衛隊を明記すべきであると思いますということを言って参りました。             
 これについては、おそらく自分の国を守るための軍隊を保有するという点については、意見はあまりそんなに多くの異論はないのではないかと思っています。
問題は、日米安保条約のように双方の理解による二国間集団自衛権
 問題は田中秀征さんがおっしゃいましたような、いまの個別自衛権ではなく集団的自衛権です。つまりこれには2つあると思うのですが、一つは二国間集団的自衛権でして、つまり相手の国が攻められたら、私は当然自分がやられたものだと思って助けに行きますと。もちろん私がやられたらあなた達も来てくださいというお互いにわが運命、あなたの運命共に共通ですねという意識を持つのが双務制のある二国間集団的自衛権の基本姿勢ですが、ご承知のようにいまの日米関係というのは、非常に歪んでいると専門家は言いますが、変わった体制でありまして、日本がどこからかやられたら、アメリカは当然のことながら助けに来ます。しかし、アメリカがやられたときには日本は、日本国憲法に従って対応すればいいという双方の理解になっていて、日本国憲法は海外に兵隊を出さないという解釈になっているという前提で、日本国憲法に従ってやってくだされば結構ですというのが日米の間の長い合意になっています。
 ですからうちがやられたときはあんた来てねと。アメリカの若い青年は、日本が北朝鮮にやられたら、血を流して命を落としても守りにいきますと。ただおたくがやられたらときには、うちは行けませんからという条約ですから、これだけ有り難い条約というのはないと思います。と同時にそれがわれわれの心の傷になっていまして、重荷になっていまして、世の中そんな甘い話がいつまでも続くわけがないと。だからいつかは、ある日きっとそれでは済まないという日が来るに違いないと。
日米安保は、未来永久に続く二国間安全保障ではないかもしれない
 特に1992年のベルリンの壁などの崩壊以前は、アメリカにとって日本は大切な浮沈空母だったろうと。沈まない軍事基地みたいな意味があっただろうと。なぜならばソ連だとか中国を相手に、アメリカは世界のお巡りさんをやっているのだから、その時に日本というものが中国側、ロシア側に行ったら大変だからという意味があったけれど、いまはそれがないわけです。
 そうすると、これは重大な問題ですが、もし私がアメリカの下院議員で、選挙区でミニ集会をして歩いて、そこで、「なぜ日本を守るのですか、うちの息子は海兵隊員だけれども、沖縄に行ったけれど、なぜ日本のためにうちの息子が命を落とすみたいな条約を結んでいるのですか、ソビエトもロシアに変わったではないですか、敵ではないじゃないですか」と言われたら、どう応えるかというのが常に大きなテーマだと思います。
 いまアメリカは、日本はアジアの中で非常に重要な影響を持つ国だし、特に中国などともいいパイプになっているから、日本を無視できないという理屈付けを一応はしているのですが、これはそんなに強い理屈付けではないだろうと思います。
 そうなりますと、日米安保というのは、こっちから守っていくという気持ちにならないと、必ずしも将来、未来永久に続く二国間安全保障ではないかもしれない。しかしよく考えてみますと、二国間安全保障というのはいつまで続くか。日米に限らずそういうテーマがいまわれわれの中にあると思います。
国連警察軍に自衛隊を派遣せざるを得なくなった時は、憲法改正か解釈改憲による
 さっき言いましたように、自分の国を守るという自衛軍というものは認めるとして、もう一つ、先ほど秀征さんが言った国連の軍隊というものがみんなで警察軍として認めておかなければならないとしたときに、そこに軍隊を出してくださいねと。もう中国も、ロシアも、そして韓国もみんな出すのですと。日本だけノーというわけにはいきませんねと言われたら、私はこの時は憲法改正か、ないしは解釈改憲で出さすというふうにせざるを得ないと思います。
集団的自衛権について変更せざるを得なくなると想定される三つのケース
 私は10年ほど前から自分の発言、憲法については、日本国憲法については、日本国憲法が集団的自衛権の絡みで何らかの変更をしなければならないときが3つあると。一つは国連で出すことが必要になった場合、二番目は、NATOのような地域集団安全保障体制がアジアにできて、アジア版NATO。そして中国も韓国も合意の上に日本もちゃんと軍隊を出してもらわなければ困りますと言われたときには逃げられない。そして三つ目、日米安保の話でして、ちゃんとあなたの方もわれわれの方を助けに来るという約束をしてくれない限り、日米安全保障条約は嫌ですよとアメリカから言われた場合には、これはみんなで議論をしなければならないテーマだと私は思います。
二国間の安全保障条約で安全保障を考えられる時代は終わりに近づきつつある
 そこでこの二国間安全保障条約をどう考えるかというテーマですが、いま世界の中で自国の安全保障を二国間のお互いの条約に委ねているところはどこにあるか。意外に少ないのです。昔はソビエトとロシアと中国はそういう関係にありました。現在はありません。アメリカとフィリピンはありました。いまはありません。おそらくアフリカのどこかの国とどこかの国でやっているかもしれないし、中南米のどこかでそういう関係があるのかもしれませんが、ほとんどあまり世界の国際政治に影響を及ぼすようなものではない。あるとすればアメリカ・日本、アメリカ・韓国だけです。二国間の条約でお互いに「私は行きます、あなたは来てください」みたいなきっちりとした条約を結んでいるのは、アメリカ・日本、つまり日米安保条約。アメリカ・韓国、米韓相互安全保障条約、この二つではないでしょうか。
 この二国間の安全保障条約がいつまで続くか。例えば今度の日米安全保障条約のイラク戦争における日米の関係でも、ブッシュさんと小泉さんの明確な強い同盟関係はありましたけれども、しかしその関係でも、最後に日本の自衛隊をサマワに派遣するとき、やはり最後は国連というものの決議をちゃんとつくっていただかなければ、出すわけには行きませんということを日米の間で話し合ったわけです。特に日本側が強く要求したわけです。 ですから結局だんだん二国間で安全保障が考えられる時代というのは、終わりに近づきつつあるのではないか。そして本当に日本の将来を考えると、憲法改正して集団的自衛権を行使できるようにするといっても、日本は他のどこの国とやるのでしょうか。例えば日本とロシアがやるでしょうか。私はしないと思います。特に北海道の人が反発すると思う。65年前、とにかくわれわれがもう原爆を落とされて瀕死の重傷で、もう負けがはっきり見えたとき、ロシア人は不可侵条約を破って北方領土を取って行ったではないか。樺太を取ったではないか。その国と100年も経ないのに、またお互いに命をかけた信頼関係で二国間安全保障条約を結ぶのですかということを北海道の人がいちばん拒否反応を示すと思います。
 それから日本と韓国がやるのでしょうか。韓国は嫌がるだろうと思います。それから合併された南北朝鮮、合併された韓半島に一つの統一国家ができたとして、その国家が日本と安保条約を結ぶでしょうか。私の見通しではNOです。結ぶまでの信頼関係が確立するには50年かかると思います。じゃあ台湾とやるのでしょうか。中国と100年戦争になります。その中国と結ぶのでしょうか。恐らく中国はNOでしょう。じゃあ日本がアフガニスタンかパキスタンか、それともスーダンと何かやるのでしょうか。地政学上意味がありません。ですから結局、集団的自衛権という議論の中で、国連の集団安全保障の議論の中で、国連の集団安全保障の問題を除けば、集団的自衛権を論じて意味のあるのは日米だけだと思います。
日米安保条約を維持するためには、「事前協議制、二国間の相当の話し合い」が不可欠
 この日米についても、私は今の条約というのは非常にいい条約でありますから、しかしそれを今後維持していくためには、本当に二国間の条約として日本国民がプライドを持ってこの条約を維持していくには、事前協議制、二国間の相当な話し合いというものが必要になってきます。本当にイラクに行くとおっしゃるけれども、大量破壊兵器はあるのですかと。私たちはそこが自信がありませんし、もしそこを間違えたとすると、わが政権はつぶれてしまいますと。だから大丈夫でしょうか、あるのでしょうかということを徹底的にやらなければならないのですが、これは先ほど田中秀征さんが講演でおっしゃったように、あれだけ世界の警察軍として圧倒的な力をもち、決定、権限を有しているアメリカと、本当に対等の事前協議の話し合いができるようになるものなのかというのが、実に非常に重要なテーマでして、ですから私は本当に日米安全保障条約に基づいて日本軍が海外で武力展開するには、自民党の案で言われています安全保障基本法の中で、二国間安全保障を結ぶ場合には、徹底した事前協議というものを必要なものとするということをしないと、日本人のプライドという問題と将来の国益はしっかりと守りきれないのではないか。ここでやり切れるかどうかというのが最後の安全保障の問題についてのギリギリのテーマであるような気がします。以上、安全保障と憲法九条の関係について申しました。
明治維新・フランス革命・米独立憲法等 大きな変化があった時に憲法の本格的な改正が可能
 私は憲法改正のもう一つの点は、この国の姿というものについての書き込み方でして、そしてまた同時にそれは天皇制の問題も深く議論されていかなければならない問題だと思っています。先ほどの田中秀征さんの発言を引用しますと、既存勢力というものが、自らの内部の調整で憲法を改正して、すばらしいものができることはないだろうと言うことをいいましたが、やはり日本の憲法のように硬性憲法つまり非常に改正しにくくて一回つくったら、50年か100年はこれで行くというぐらいのものが、やはり大きな時代の転換の時に初めてできるのではないでしょうか。つまり明治維新で国の形態が完璧に変わりましたとか、日本の歴史で初めての敗戦で、いわゆる完全な民主主義というものをある意味では導入されて、そしてそういう中で新しい憲法をつくりましたと。もう、とやかく言っていられないというぐらいの大きなドラマ的な変化があったときに初めて憲法の本格的な改正ができるのだろうと思います。フランス革命もそうですし、アメリカの独立憲法もそういうものであったろうし、現在の新しい中国の憲法もそういうものだったと思うのです。
自主憲法制定や前文や9条など完全な平和主義を書かせたのは日本側等の憲法論争
 ですから現在の我が国の憲法論争というのは、平地で憲法改正しよう。平時において平地で、平らな土地の上で静かなときに憲法を改正しようと。憲法の新憲法を作るというのは、時速最小限、4〜50キロのスピードで走ったときでないと、車輪というのはまわらないと思うのですが、時速3キロか4キロぐらいのところで憲法改正しようとするわけですから、余程このエネルギーというものが内在しないと無理だなと思います。そのエネルギーの内在しているものはどういうところにあるかというと、私も一つは自主憲法制定、とにかく戦後の憲法というのは、押しつけられた憲法だと。何だか嫌だと。これは護憲派の人もどうしても心のある一部のところに引っかかるテーマでした。ですから全く同じ憲法の内容でもいいから、憲法改正儀式をやって、そして全く同じ文章でもいいから改憲しようというのが改憲派の言葉の中にあったぐらいです。この自主憲法制定論者というのがありました。
 ただこの自主憲法の制定論議の中に一つだけ注目すべきちょっとした対抗意見がありまして、本当に憲法九条で交戦権はこれを保持しないと。とにかく完全な平和主義というのを憲法九条および前文に書かせたのは、アメリカ軍であっただろうか。つまりマッカーサーホイットニーさん達であったろうか。もしかしたら違うのではということを一生懸命論証した本がありまして、これは文藝春秋で前に編集長していた堤尭という人が、「昭和の三傑」という昭和の三大政治家という意味です。明治の三大政治家というのはよくある話ですし、幕末の三傑というのもよくあるけれど、終戦直後、幣原喜重郎を中心に、鈴木貫太郎という人たちが、とにかく陛下をお助けするというのが第一。それから二度とこの占領軍に自分たちが捕まらないようにしようといって、向こう側から軍備は完全に持つなよと要求させるように仕組んだということを一生懸命論証した本です。そしてもし終戦直後に日本が本当に軍隊を持っていたら、朝鮮戦争とベトナム戦争でそれぞれ3万か5万人ぐらい日本軍は使われて犠牲が出たのではないかと。それを考えると、幣原喜重郎というのは、相当の年寄り外交官だった。ボケジジーといわれていたけれど相当のものだと。その辺を外務省の後輩としてよく分かっていた吉田茂は、これでいいと言うと同時に、吉田茂も将来、憲法九条はこのままでは済まないと思っていたし、先ほど金森さんが国連に出さなければならないときには憲法改正が必要と思っていたという発言等々、一連の当時の人たちは徹底的に日本を守りながら、アメリカに軍隊として使われないようにしながら、しかし経済発展をし、そして発展したときにはきっとただ乗りは無理になるだろうと。後世の政治家達がそれを分かって心構えをしていくだろうかと思っていたという論証をしたもので、あまり無茶苦茶売れている本ではないのですが、読むに値する本だと思っています。
戦犯だった岸信介は60年安保改訂で「事前協議制」を入れたが、反安保・反米運動へ
 とにかくそういう考えの流れもありますが、一般的には中曽根さんを中心に、どうも我が国のナショナリズムというものがあるので、自分で自主憲法を制定していきたいという思いがあって、その点からずっと考えると、岸信介さんというのは60年安保で事前協議制を入れたのです。それまでの日米安保というのは、アメリカの言うなりだったのですが、これではだめで、アメリカ軍が日本から出て行くときにはちゃんと日本のOKを取ってからでなければだめということを60年安保の時に改正して入れようとして、だからそれはアメリカにちゃんとものを言うというかなりの根性のあった内容ですが、それを提起した岸さんが戦犯だったし、その後日本の総理までなったわけですから、学生をはじめ多くの人々が、あなたにはそれを言われたくないと言って、日米安保改訂の内容よりも、岸さんそのものに非民主制を見たという感じで大変なデモになり、そしてアメリカに対する反米大デモになっていったわけですが、いろいろ考えると、自主憲法制定論者とアメリカに対する発想というのは非常に難しいところがありまして、アメリカに押しつけられたから憲法改正しなければいけないと言いながら、そして岸さんの場合には、表れ方は別にして、アメリカにちゃんとものを言うという姿勢でなっているけれども、いま自主憲法制定と、まあいろいろあるけれどもアメリカの言うことには従わなければならないと。イラクの戦争というのはどうもおかしいと思うけれども、だってアメリカと協力していかなければこの国は生きていけないというのと、これはいったいどこで整理されるのかという非常に大きなテーマがあると思います。
今の改憲論議は、湾岸・イラク戦争で緊急にやらなければ、国際貢献への義務感がある
 そうしますと自主憲法は、我が国独自のナショナリズムに基づいた憲法改正論ではなくて、そういうめんどくさいことはよそうと。とにかく湾岸戦争があったと。今度のイラクの戦争があった。そこで国際社会がみんな協力していろいろなことをやるのに、我が国だけ憲法の制約で何もしないというのは、恥ずかしいという国際貢献論。つまり緊急に何かしなければならないというところからいまの憲法改正論議というのは出ていると思います。それはとにかくやはり心の根っこの底に、これだけ経済が成長して戦後国民を戦いで一人も殺していない。そんなうまい話というのは、いつかバチが当たるという心のどこかに、これは保守でも革新でもやはり国際社会における自分たちを考えると、義務があるのではないかという緊急最小限努力しなければならない義務論みたいな改憲ムーブメントがあるのではないでしょうか。それを一時言ったのが小沢一郎さんのノーマルな国、普通の国論ということで、この国をどういう国にしたいと思いますかと言ったら、特徴のある国にしたいですと言ったら、普通の国になりたいと応えたわけで、これは本当は答えではないのです。普通の国というのは、いまが普通筏から、ハンディキャップを負った国だから、憲法上何もできないようにハンディキャップとか手錠をはめられたような国だから、せめてそこまでは上げておきましょうというのが普通の国論であり、緊急対応しなければならない論だったのではないかと思います。
イラク戦争をめぐっても二国間だけでは国内はまとめきれない、国連の判断が必要だ
 繰り返しますが、心の底にはただ乗りというわけには、いつまでもいかないと。町内会費だって払わなければならないし、という考え方ではないかと思います。それは私がいろいろ考えると確かにそういうところがあるのですが、やはりその時には日米の間で最小限の義務を果たすということ、二国間だけでやるとやはり国内的にまとめきれない時が出てくるし、もう出てきているから、繰り返しますが、最後は国連でどう判断するかを見てから、ということでイラクの復興事業だけには行ったわけですから、ですからやはり国連の決定に従うそしてそのためにも国連の安全保障理事会の中で、できるだけ力強いポジションに着いておこう。その方が国連活動の全ての情報も集まりやすいという国連理事国、常任理事国に参加したいという議論になっていくし、それは正しいことだと思っています。
自民党的改正論議として、前文に「国を愛する心」等を入れたい、大変な議論を呼ぶ。
 ただ最後に、そういう中で私はもう一つあるのは、これは自民党的な憲法改正論議ですが、我が国の心というものをこの国の本来の姿を書き込み論みたいなという、今国の在り方論的な憲法改正論というのがあると思います。これは自由民主党の憲法論議におきますと前文というところですが、この前文の中にこの国は自然に恵まれてすばらしい国である。その国を愛する心を持ちたいみたいなことを書こうとしているわけですが、これがまた国内的に大変な論議をよぶだろうと思います。そもそも日本というのは何なのかという点については、私はいま国民は立場の相違はいろいろあるけれど、一人一人が考えているときではないかと思います。
 長崎で小学校の女の子が同級生の女の子を殺めたような事件があると、これは心の教育が足りないと。なぜこんな異常なことが起きるのかと。それの答えは、じゃあ心の教育が足りないとすると教育基本法の改正だし、その基本になるのは、その思想はどこにどういう文章で書いているのかというと、教育勅語をもう一回読み直してみようというので、みんなで一生懸命読んでみたのです。ところが字数にして600字ぐらい。私も何度も読んでみましたが、明治の20年代だったか一年ぐらいかけて作られた文章ですから。何度も何度も熟読に耐えるような分厚いものでもないし、思想的に深いものでもないのです。「天皇万世一系論」というのも書いているし、儒教哲学みたいなものも書いているけれど、これで日本の社会の土台をつくっていきましょうというのは、あまりにも少ない内容、軽い内容ですから、教育勅語に立ち戻って等という言葉は、自由民主党の中でも過去2〜3年使われなくなりました。そしてその代わり国民が何をしているかというと、東京では八重洲ブックセンター、青山ブックセンター、紀伊国屋など、しっかりとした本屋に横積みされている本は、ほとんど歴史とか哲学とか宗教の本が多くなっています。中沢新一の本があったり、 宮台真司の本があったりいろいろな本があって、売れない本は縦に並んでいるわけですが、横積みの本というのは、なぜか本当に読むと頭が痛くなるような難しい本が並んでいて、それが売れていて、そしてみんなしっかりと読んで考えているのです。
今、国民は日本のあるべき姿を考えている。現憲法が国民の合意で改正される日はくる。
 イラクで自爆テロをやる、9.11であんな飛行機で飛び込む、すごい恐いと思いつつも、考えてみれば戦争中、自分たちの先輩達は特攻隊でやったではないか。それを信じられるものがあるとああなってしまうのだが、我が国がじゃあ次に信じて、そしてこれだといって国民全員が思い、そしてその一辺たりともその片鱗を憲法に書き込むようなものというのはいったい何なのかということをみんな今考えているように思います。
 そこのコンセンサスが本当に出て、そして中国に対しても、もちろん韓半島の二つの政府に対しても、そしてアメリカに対してもしっかりとした間合いを取って、距離感を取って、日本というのはこういう国ですということをしっかり言えたとき、実は本当の憲法改正のものすごいエネルギーが出てくるのではないか。その意味で私は、憲法の改正論議はするべきであるし、いくつかのポイントはやるべきであると思うし、自衛隊は明記するべきだと思うし、私学助成が何かちょっと悪知恵を使わなければ、私立大学に補助を出せないような憲法の条文部分があるように思うのはよくないし、環境権はもっとはっきりと書き加えてもいいし、プライバシーの権限は、田中さんがいうように別に書かなくてもちゃんと読めるようになっているかもしれないし、そういうことをいくつか直していかなければならないけれども、本気で全体的なものを考えるとするならば、それは新憲法を超え、さらに私は明治憲法も超えて明治維新をもう一回われわれなりに評価して、そしてその上に日本の国探しをしたときに、本気ですらすらと書き手が文章を書き、国民がこれで行こうと。そして当然ながら3分の2の国会はスルッと通って発議されるというときに来るのではないかと思います。                         
夏目漱石は、「三四郎」のなかで、外国の物まねばかりする国になった日本を嘆いた
 明治42年に夏目漱石は、朝日新聞に『三四郎』という小説を連載しはじめました。冒頭ですが、熊本の中学校で試験を受けて、東京の高等学校、いまでいう一高、つまり東大の教養学部に受かったとされる三四郎が、トコトコと汽車に乗って東京に行きます。当時は2泊ぐらいして熊本から東京に来たようで、最後の場面、静岡ぐらいに来ると、三四郎の座っているボックスに一人変な親父さんが入ってくる。熊本から東京に行くのかと。東京は、熊本より広いぞと。その東京より日本というのはもっと広いぞと。そしてその日本より人間の頭の中というのはもっと広いぞというものですから、何だかわけのわからないことを言うオヤジだと思っている。そうすると、この日本は外国の物まねばかりする国になってしまった。自分の持っているものを全部捨ててしまった。ノッペラボウになってしまった。自慢できるものと言えば、いまここに見えてくる富士山だけだと。でもこの富士山も、自分でつくったものではないから、あまり自慢もできないしという。
 そうすると日露戦争でロシアに勝って調子のいいときですから、三四郎はこういうのです。でもロシアに勝ってこの国は発展するでしょうと言うと、このオヤジは、この国はつぶれるねと言うわけです。これはいまから読んでみますと、明治維新というものは、実は対欧米、キャッチアップを設定した時だったのではないかと思います。国を開いてみると、強大な軍事権力を持った西洋の国々があった。だから富国強兵で頑張らなければと思って日清、日露と勝ち進み、そして太平洋戦争の失敗にきた。明治維新の時に国を開いてみたら、軍事力だけではない諸外国は煌びやかな物質文明があった。あのように車も持ちたい、いい食事もしたいと思って頑張っているうちにキャッチアップで今から15年ぐらい前ですが、アメリカ人よりももっといい車に、そして食べ物は食べ放題にあって、その時に実はこの後いったいどうしようかという思いになったのだろうと思います。
諸外国を追っかけていくノッペラボウな国になっていいのか!今の最大のテーマではないか
 1992年、それと同時に豊になると同時に社会主義と資本主義のたたかいも終わりましたので、論争点もあまりなくなってきて、どうしようかなという思いの時に来たのではないかと思います。この国というのは、明治維新で対欧米、追いつけ追い越せのフレームワークで今日まで来てこれだけの国になったから、明治の人々の設定された目標と、その努力のための枠組みというのは、かなり評価しなければならないものだと思うのですが、インテリの夏目漱石が、この諸外国を全部追っかけていくノッペラボウな国になつていいのかといった問題提起は、夏目漱石は賢い人ですから、1911年にそれを言ったわけですが、それから約100年近い年を経て、今われわれの面前に突きつけられた最大のテーマではないかと。
 もしかしたら、そういうことをしっかりみんなで議論しているから、それが本当にある種のまとまった形になったときに初めて憲法改正の内在的な、平地からエネルギーが生まれてくるのではないか。それをしない限り、そこのところの結論がない限り教育基本法については、大きなしっかりとした法律は書けませんし、子供達の教育に自信も持てないし、また我が国の若い人が海外に活動をしてもらって、時には警察活動をして命を落としたときに、総理大臣が自信を持って強い哀悼の念を持って遺族に対面することができないのではないかという気がします。
9条を直すときは、国民が日本の平和主義に自信がもった時だ
 私は憲法九条というのは、国語的に見たら誰が考えても軍隊はこれを保持できないと。交戦権はこれを維持しないと。そして軍隊はちゃんと持てないように書いてあるのに、自衛隊がいるということでおかしいなと思うけれども、それを解釈改憲で国民がまあ仕方がないと言ってきたのは、実は憲法の前文と九条のそこに流れる平和的外交基本法方針宣言みたいな、平和外交基本宣言みたいなところをみんなで評価したからではないかと思います。そこを直すときには、国内の人間も我が国の平和主義に自らに自信を持ったときであり、そしてまた諸外国からも日本は変わったね、安心したよという声がはっきりとわき起こってきたときにそれがまた国内にも跳ね返って改憲の大きなムーブメントになるのではないかと思います。私の持論ですが、靖国神社でもめている限り、これは憲法改正に大きな水を差すことになるのではないかという感じがして、まさにアジアの国々とどう対応するかというところもしっかりと見極めないと、本当の大きな憲法改正の流れにはならないのではないかと思います。
 憲法改正の方向は、私は自分の見る限りいくつかの点は直すべきだと思って改憲論はいい流れだと思いますが、しかしそのタイミングとしては、諸外国との関係、そして国内におけるもっと自信を持った議論ができたときに、本当の大きなうねりになっていくのではないかと。少なくとも小泉首相は、いま改憲をするつもりはないというのが、側から見た感じです。それを超えられるものをこれから国会の中で、また自民党の中でどう動いていくのか、私なりに見つめていきたいと思います。
 以上、わが党の中の状況と私自身の憲法改正論についての私見を述べて、ご批判を受けたいと思います。どうもありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
− 質 疑 応 答 −
 
憲法において国民の義務的規定は必要か否か
<江別 山本>
 今の憲法の立憲民主主義という中での憲法の位置づけの中で、国から国民に対する義務的なというか、命令的な言葉を憲法の中に盛り込むことについてどうお考えなのか、先生方お二人にお聞きしたいのですが、よろしくお願いします。
 
<司会>
 憲法に、国から国民に対する義務的な、もっと言えば命令的な言葉を入れることに対して、どのようにお考えですかと。例えば家族愛とか愛国心ということについての考え方というご質問だったと思っています。その他ございますか。
 それでは私のところに寄せられていることについて、一つは、現在の国連に対する評価と今後の国連改革というものについて、どのように考えているかお聞かせ願いたいということと、あわせて日本の常任理事国に入るということに対して、加藤先生からは、考え方がございましたが、田中先生も含めて少し突っ込んだお話しもお聞きしたいという質問です。
 もう一つは、憲法と密接に関連する部分もあるのですが、最後に加藤先生が触れていましたが、靖国参拝についてどのようにお考えかと。日・中、日・韓の歴史的問題に対する正しい対応というか、適正な対応というのはどのようにお考えかという質問も寄せられていますので、それぞれからお聞きをしたいと思います。
 まず最初に、憲法に国から国民に対する義務的な、つまり命令的な言葉を入れることに対して、どのようにお考えですかと。家族愛とか愛国心ということについてのお考えをお聞きしたいということです。
 
<田中>
 憲法を考える上で非常に大事な論点だと思います。ただこれは私もそうですが、さっきお話ししました石橋湛山という人は、現行憲法を最大限に評価していった人ですが、やはり日本国憲法を見て直ちに言ったことは、権利規定に傾きすぎるということを言いました。 私も実はその頃からそういうふうに考えてきた人間ですが、憲法を時の権力の恣意的な政治運営をチェックするものだと。もちろんそういう性格があるのですが、それを多く見ると、おっしゃるような観点が生まれるのだと思うのです。しかし義務規定そのものが、われわれ自身が決めている義務規定だと。ですから絶対王政の頃の権力をチェックするということと違って、国民主権の時代における憲法というのは、義務も権利も自分たちが決めているのだと思えば、義務規定を作っていくこと自体はおかしなことではないと。自分たちが相談してつくるのだからということになります。内容的に言って愛国心云々とか、家族愛云々ということは書く必要は全然私は認めないのですが、ただ私は戦後民主主義というものに問題点があるとしたら、要求型民主主義に陥りがちなところがあるとずっと思ってきまして、それは義務規定が弱いという部分というものについて、全体的に日本国憲法に不満があるとしたら、私はそういう点で湛山先生と同じ不満を持っています。
 ですから今の社民党の中から、特に土井さんなどもこの間どこかで発言していましたが、やはり義務の規定というものは憲法上最小限にすべきだと。これは一つの見識だと思うのですが、自らがつくりあげる権力に対する不信感というものが根底にあるということで、自分たちが作り上げた憲法で、自分たちが作り上げている政治なんだと思えば、権力そのものを敵視する必要はないのであって、それはまた違う問題のような気がします。社民党はそこを乗り越えてもらいたいという希望を私は持っているのですが、私はきちんとした義務規程というのは書いていくべきだと思います。それは相当の合意形成の中で、たださっきも加藤さんの話の最後にありましたが、いわゆる心の問題については、そんなことは余計なことだと思いますし、だいたい心のない政治家にそんなことを決められたらたまったものではないという気持ちも含めて、余計なことはしないでもらいたいと思います。
 ただいわゆる納税の義務とかいうことから始まって、先ほどの国連に関することで安全保障活動では、参加すべきだという書き方ではないと思うので参加できるという形の、これはまだできるにしても個別でまた検討をする必要がありますから、この事案には参加するかしないかという、全て参加するわけではないですから、そういういろいろな義務規程というものは、きちんとそういう改正という状況が訪れたらそういうふうに持っていいと思います。ただ権利要求をぶつけるのは、国民主権下では自分自身なのです。跳ね返ってくるものですから、どうしても全体主義を倒したときの憲法というのは、どうしても権利規定が優先されるので、チェックというのは自分たちの権利規定を非常に明確に強く書いておけばいいのです。そういうのを非常に強く書き込んでおけば、そのこと自体が権力に対するチェックになると思いますから、必要な義務規程というのは、それほど神経質になる必要なはないと思います。
 
<加藤>
 義務規程を書いておくと、逆にいえばそれはそれ以外の義務はあまり与えてはいけないということにもなりますので、義務規程というのはある程度書いておくべきだと思います。
 それから公共の福祉に従わなければならないわけです。基本的人権も公共の福祉というコンセプトには従わなければならないけれども、公共福祉という言葉がちょっと曖昧すぎます。ですからその意味で基本的人権と公共の福祉のぶつかるところ、もうちょっと分かり易く書いてよとなると、義務と権利をもうちょっと詳しく書くということになって、その方がいいのではないでしょうか。
 それから明治憲法というのは、国民が主権在民で下からつくったという意識はあまりなかったと思うのです。新憲法は、どちらかと言えば戦後のまだ自分自身を見つめ直す心の落ち着きと能力がないときにつくったとするならば、今度はある意味では主権在民で国民がああでもない、こうでもないと大論争してつくる日本の歴史上初めての憲法ですから、その時には、やはりこういうところはお互いにちゃんと義務としてやらなければならないと。だって自分たちがやるのだから、税金がなければ国を回していけないということをちゃんと国民にも仲間内でやっていくという気持ちがなければ、この国を回していけないというような感覚の言葉というのは、書き込んでもいいぐらい成熟した民主主義に日本はなったのではないかと思います。
 
国連に対する評価、今後の改革すべき課題は何か、常任理事国入りについて
<司会>
 時間の関係上、次々とお願いしたいわけですが、現在の国連に対する評価、それと今後の改革に向けての課題は何なのかということと、合わせて日本の常任理事国入りの意義、あるいはそれをイエスかノーかということも含めての考え方をお聞きしたいということで、加藤先生のお話の中には、日本の立場を国連の中できちんと発言を強めると。あるいはいろいろな情報を収集するという意味においては必要なことだとお話しの中ではされたと私は受け止めておりますが、これも田中先生の方からお願いしたいと思います。
 
<田中>
 国際連合というのは、創設当時の目標というのは、日・独などの旧枢軸国を封じ込めて第3次世界大戦が起きないようにすると。主として安全保障面からの要請で出来上がったと理解しているのですが、ただ1945年の創設当時と比べて、国連を取り巻く環境というのは激変している。一つ取っても最初に51カ国の加盟国が、いま191になっています。規模がメチャクチャ増えている。それで当時の戦勝国が指導している、だから敵国条項というのがあるのですが、日・独などを封じ込めるという事で出来上がった戦勝国体制というものも、60年代に植民地の独立によってどんどん新加盟国が増えて行って、いま4倍近くになっているわけです。第二次世界大戦に直接関わらなかった国々はたくさん増えていて、それが数の上では中心を占めているという非常に規模の拡大による質的な変化というのがあるというのが、国連の変貌の最大の様子だと思います。  
 もう一つは、問題状況が激変していると。45年当時は安全保障問題というのが突出した問題だったけれども、現在はご承知のようにグローバルな問題というと、環境の問題だとか資源の問題であるとか、麻薬とかエイズとか人権だとか、難民の問題もある。そういう非常にグローバルな問題、これは国連創設当時には顕在化していないか、それとも存在しなかった問題が、われわれの行く手に立ちはだかっているという状況です。1945年当時と60年経って、われわれ人類、当然のことながら国連を取り巻く環境というのは全く激変していて、そういうときに安全保障という問題を軸にした国連だけでいいのかという問題。これは国連内部にもそういう問題提起があります。ですから経済社会問題、経済社会理事会の強化というのはそこから出てきているのですが、軸足をそっちに移れと。なぜかというと、そういうグローバルな問題こそ戦争原因にもなっていると。経済格差の問題とか環境の問題とか、そういう様々な問題が戦争を引き起こす原因になっている。だから紛争が起きた後に駆けつけて火を消すというのではなくて、そもそも火種を取り除いていく努力が必要ではないかということで、考えてみればそういう経済社会問題も、本質は安全保障問題につながっている。そういうところに軸足を移していく。だから創設当時は相当変わってきているから、そういう認識のもとに立って国連を改革しようではないかと。経済社会理事会等の強化の問題であると同時に、安保理というものの位置づけの問題でもある。安全保障理事会の位置づけの問題にもなってくるのですが、私はそれなりに関心をもってその問題を考えて来たのですが、やはり現在の安保理の改革含めた改革ということになると、規模と質の変わった加盟国の中で、現在の常任理事国制度というのは妥当かどうかという問題が一つあります。それから問題の核心部分が国連の軸となっているのが紛争処理。そして国連安保理という軸足だけでいいのかという問題になってきているので、全体的に国連というものを見直す機会が冷戦が終わった後訪れたという認識は同じです。
 ただ私は、ご存じの方もいらっしゃると思いますが。小泉さんと一緒に慎重論をぶってきた人間で、それはなりたがるのはよくないということがいちばん大きかったのです。皆さんは、道会議員とか市議会議員とかになりたい人はすぐ分かります。今まで年賀状をよこしたことがないのに突然よこすようになった。これは道会議員だとすぐ分かる。同窓会に酒をぶら下げてきた。あれは市会議員になりたいだろうと。何かになりたがると足元がすごく分かるのです。
 そうすると、せっかく努力して自衛隊を派遣している。あるいはODAで援助している。あれはなりたいからやっているのだということになれば、せっかく税金を使っているのに、そうしたいからそうさせていると。だから外国に行くとまず真っ先に常任理事国入りを支持しますというのです。それで何なのですかという話になる。そういう足元を見られたようなことになると、発言力があるようで発言力の効果がうんと薄くなっていくから、なりたがるというのはよくないという姿勢の問題として私は言ってきたし、もう一つは、今の常任理事国制度そのものを変えていくことです。常任理事国の持っている特権をはじめとして、拒否権というものを行使しないような形で申し合わせをするような働きかけをしていく、あるいは常任理事国制度そのものをやめる。これは現実問題無理なことですが、そういう国際社会の合意形成の仕組みについて、全体的に変えていく先頭に立てばいいのだと。国連改革の先頭に立てということ。そのために自分が何になりたいというような気持ちは、そんなに前に出したら改革の先頭に立てないではないかと。そういうことで私はこの問題を今もそれは変わらない。
 ただこれはいいことだと思っているのは今回4カ国で頑張っています。ドイツ、インド、ブラジル、日本と。そうしますと、これはまず困難で常任理事国入りというのは無理です。そうだとしても、この4カ国がどうして議決を結んでいくということについては、国際社会で、この4カ国が一つの発言のコアをつくっていくのだと。今までの常任理事国の他に、この4カ国の発言そのものが実質的に非常に連係プレーを国連の中でしていくこと。そうすると非常に今までの安保理の在り方について、実質的な牽制ができるという状態になってくるのではないかという期待感はあります。できるかできないかというと極めて困難という、それこそこれは不可能なまでに困難で、このことを説明すると、ちょっと長くなるのでやめますが、そんな感じで今見ています。   
 
<司会>
 先日、世界の大使の皆さんを全部日本に集めて、いろいろなお話しをされたというマスコミ報道もありますが、加藤先生、この国連の問題についてお願いします。
 
<加藤>
 先般、日本の外国にいっている大使を120人ほど一挙にご当地出身の町村外務大臣が集めまして、さあこれから国連常任理事に入るのだから、それぞれの赴任国で戸別訪問をやってこいというような話です。かなり勢い込んでやっていると思います。できれば安保理の常任理事国になれたらいいなと思います。
 田中さんと意見が違うのは、その改革の先頭に立って、しかしやはり日本は自分の地位を要求しなかったけれども、やはりそれは偉いといって日本に対して人望が集まるというか、国に対する信頼が集まるかというと、ちょっと厳しいものです。
 日本は別にポジションはいらないなら私がやりますといって他の国がなって、日本の足跡にはたいして評価しないと。評価するけれど、あまり言わないで自分がやったような顔をして頑張るというのが国際社会だと思いますから、何となく努力して影に後でまわって静かにしているというのは極めて長野県的であり、いいのではないか。
 
<田中>
 そういうことを言っているのではなくて、改革の先頭に立てといっているのであって、加藤さんも外務官僚出身だったら、外務省に対してきつくものを言えるようにならなければだめだね。
              
<加藤>
 私はそこは頑張った方がいいと思います。それから国連をどうするかというのは、実はアメリカ問題なのです。つまりいま世界の政治の決定権はアメリカが持っていると自分で思っていますから、国連に委ねないのです。特に安全保障の問題は国連に委ねない。でもそういったときに今度のイラクの一連の政策は、そのアメリカにとってはかなりマイナスになったのではないかと思います。そのユニラテラリズム、一国判断主義みたいなものはちょっと困るねと。そして現に大量破壊兵器がなかったというのは、非常にアメリカと国連との力関係という意味では、アメリカにマイナスになったと思います。逆に言えば国連改革は進むきっかけになったのではないかと思います。
 
<田中>
 これは二人で議論した方がいいですね。ずっと議論してきた相手ですが、ほとんど考え方は同じなのです。イラク戦争に対する認識も、自衛隊派遣についての認識も同じだけれども、恐らく常任理事国問題も同じだと思うけれど、やはり外務省に多少気を使っているというのと、私は気を使っていないという部分がちょっと違うのか、バッチを付けている、付けていないところが違うのかよく分からないけれど、まず可能性についてどう思うか。
 
<加藤>
 可能性は、例えば拒否権を持たない形で4カ国が常任委員会になるというオチはあり得ると思います。
 
<田中>
 私は、極めて困難で、常任理事国の追加問題については、これは絶対だという基本的なもし変わるとしたら絶対だというのは、一つは日本が入らないという形での追加があり得ないということと、もう一つは、日本だけが入るという選択肢もないと私は見ているのです。しかし、一カ国が入るということはあり得ないことで、他の国々がもう4カ国で結んでしまっているし、そういうことはあり得ないということで、結局いちばんの問題はアメリカです。中国というより、中国も難しいけれども、アメリカ自身が拡大方針に対して面白くない。だから日本の支持だけはいっているけれども、日本だけがいいと言っているということは、もう改革はできないということです。
 
<加藤>
 アメリカが日本だけはいいと行っているのは、他の3カ国のインド、ブラジル、ドイツを入れないという意味で、ということは日本だけを入れるということには、他の3カ国はそんなはずではなかったと言って団結が崩れるのを狙っているということだと思います。
 
<田中> 
 だからほとんど不可能だということについて、今度、大使をみんな集めて自民党的な総決起大会。私は非常に愚かなことをやっていると思って笑ってしまいます。もっと個別に真面目に違うやり方があるだろうと思うので、そういうことをやっていること自体が、税金の無駄使いになるし、何でそんなことをやるのかと。そういう努力が実るのならいいけれどそうではない。そうだとしたらもっと実質的に国連を変えていく役割を発言力を活かして、あるいは分担金を大変払っているのならそれを活かしてやっていけばいいのではないかと。もうこれはいまの外務省の考えている日程で進んでいくということはまずない。 加藤さんは何%位の確立であると思っているのですか。
 
<加藤>
 拒否権を持つ常任理事国がいま5つあります。それ以外に普通のその時々で選ばれる理事国が確か10あって合計15だけれども、インド、日本、ブラジル、アフリカから1カ国、それからドイツ。合計6つぐらいを常任理事国だけれども、拒否権、つまりその一国が反対したら何もできないという権限を与えないものにすると。ですからいまの拒否権付きの5カ国をAクラスとすると、その時々に決まるのが10カ国Cクラスあるわけだけれども、間にBクラスをつくるというあたりがオチちになる可能性は30%ぐらいあるのではないかと、私の直感ではそう思います。
 その拒否権付きの常任理事国を認めるというのは、中国が嫌がっているのは当然ですが、アメリカも非常に嫌がると思います。日本にそういうアメリカと同等のポジションをくれれば、アメリカは2票持つことではないですか。常に日本はアメリカと一緒に行動をとるのですからと言って説得を外務省がしていると新聞記事に書いてありますが、仮に事実だとすると、そんなことをアメリカが信じるわけがない。ちょっとしたことで意見が違うのは当たり前ですから、例えば京都議定書の問題については日米で激しく違った。安保理ですから、安全保障問題ですが、この点についていつでも日米が共同歩調になるはずですとアメリカが信じるわけがないと思います。         
 ですからアメリカが賛成するということはないし、去年9月にアメリカに行って、特に名前は言いませんが、上院の外交問題にかなり権限のある人曰く、5カ国が増やそうと思うわけがないでしょうと言っていましたから、それが答えだと思います。
 
<田中>
 それから6カ国になる場合のアフリカの問題が大きい。アフリカはだいたい5カ国が手を上げていますから、それを絞るということが極めて難しい。現実問題として難しい。
 拒否権あるなしにという、インドがご承知のように非常に拒否権付きを主張しているけれども、これは折り合う。例えば案として拒否権付きでなかったらいいよと言ったら、それはしょうがないとしぶしぶインドも納得すると思います。
 問題は、アフリカを絞るということができないのと、アメリカの本音、そういうことでなかなか年内に決着を付けるという規定方針通りには行かないし、そういうことをやっている暇があったら、在外公館でもっとやることがあるのではないかと。 そういうことを言いたいし、なって何をするのかということが全然聞こえてこないということがもう一つ納得できないところです。
 
靖国参拝問題について
<司会>
 次の質問に移りますが、靖国参拝の問題について、日・中、日・韓の歴史的問題に対する適正な対応というのはどういうふうにお考えなのかと。加藤先生は最後の方で大変微妙な言い回しでお話しになったと受け止めさせていただきましたので、そこのところについてもう少し、もしあれば最初に加藤先生の方からお話しをちょうだいしたいと思います。
 
<加藤>
 靖国の問題というのは、私は基本的には講和条約という一国が最も守らなければならない条約を日本が守るかというテーマだと思います。日本は戦争が終わったときに、戦争責任問題を議論できなかったから、一億総懺悔といって一億人全員が悪かったのですということをやったわけです。でも国際的にはそれは通用しないので、じゃあというので日本国内でできないとするならば、極東裁判でやった結果を認めますかと。サンフランシスコ講和条約を結ぶ時に認めますと。その条約には、極東裁判、つまり東京市ヶ谷のやつですが、それ以外の各地で行われた戦争裁判、例えばフィリピンでやったとか、どこかでやったものも含めて全部日本は認めてそれを執行いたしますという条文をサインしているわけです。だからある意味では14人の方が、全ての人に代わって日本の責任を負ってくれた。 そして死に赴いていただいたわけですから、そこのところをしっかりと日本は枠組みとして認めるということをしないと、戦争責任の話が元に戻ってくると。南京で30万人死んだとか、人口は15万人しかいなかったのだからそんなわけないとか、じゃあ3万人だとか、それと日本もやられましたねみたいな話とか、とても本当に混乱してしまうことに戻ってはいけないと思いますので、靖国神社の参拝は控えた方がいいと思います。
 答えとしては、靖国のA級戦犯分祀、ないし慰霊の公園を別途作るということしかないだろうと思います。      
 
<司会>
 明確にお答えをいただきました。田中先生もこの問題についてお考えをよろしくお願いします。
 
<田中>
 基本的には加藤さんと全く同じ考えで、極東裁判の是非というのは、いまもって議論されるけれど、しかしそれを認める上で講和条約、国連加盟と進んできて、国際社会に社会復帰して来たというので、これを否定すると全体像を否定しなければならないということになってくるし、やはり自分の国のしたことの非を認めてくれた方が、相手側の非を正していくというということが容易にできるようになります。やはりわれわれが間違ったということをきちんとそういう認識をすれば、中国の人民の在り方とか、あるいはこの間の反日デモについてもそうであるし、軍拡についてもそうだし、台湾問題についてもそうだけれども、言いたいことをきちんと言えるということになりますから、やはり人の非をつくには自分の非を認めるという意味でも、どうしても必要だと思います。
 この間、ある場所で質問されて初めて知ったのですが、95年の村山談話というのは、加藤紘一と田中秀征がたまたまいたからできたのだということを雑誌に書いていたが本当かという質問が出て、それを読んでいなかったので後で読んでみたのですが、韓国の大学教授の人が書いた論文ですが、決してそうではなくて、そういう流れが当時、自・社・さ政権の中では主流であって、たまたまいたからどうという話ではなくて、細川政権以来、植民地支配と侵略という非常に明快なことは歴史を認識するということができて、しかも村山政権下では、自民党も入ったプロジェクトチームで村山談話というのを作ったわけですから、それに当然小泉さんなども縛られるはずであるし、また小泉さんはこの間ジャカルタの演説で、村山談話とほとんど同趣旨、同じ言葉を使ってまで姿勢を述べたので、そういう線で考えていくと、今年また靖国に行くという選択肢はないのだと私は思います。 もっと現実的で柔軟な対応をしてもらいたいし、小泉さんはご承知のようにぶれてはいけないという思いが、間違っていてもぶれてはいけないと思っているかどうかは知らないけれど、とにかくぶれることはだめだと。北極星だってぶれてますから、あのぶれは柔軟性というのです。ですからそういう北極星ぐらいのぶれは持っていてもらいたいと私は思います。ですからもっともっと現実的に全体を見渡して、日本の全体の外交戦略、あるいは東アジアの将来とかいろいろなことを見渡した上で、現実的な判断をしていただきたいと思うし、そういう意味でもかつてYKKと言って同士で結合だった加藤さんには、もっと小泉さんにどんどん主張を言って盛り込んでもらいたいと思います。
 
自衛のための軍事力はどの程度必要か
<司会>
 もう一つ寄せられている質問がありますので、これは加藤先生にだけお聞きしたいのですが、自衛隊の戦力は大変優秀だというお話しをいただきまして、既に予算だけを見ると世界の第2位、若しくは第3位と言われているわけですが、抽象的になるかもしれませんが、自衛のための軍事力が必要だというように仮に判断した場合、どの程度の規模が適正というようなところについて、もしお考えがあれば見解を賜りたいと思います。
 
<加藤>
 いま世界で2位になりましたか。2位まで行ってないような気がします。「ミリタリーバランス」という年鑑があるのですが、その最新号を見ていないものですから、5番ぐらいの中に入っているような気がします。日本の場合は、半分は人件費です。半分の2兆5千億ぐらいが装備費だろうと思いますし、それからアメリカの基地を置いておくものですから、その思いやり予算とかある部分の負担をしています。
 どの程度であればというのは、いまぐらいが最高のところではないかと思います。これはお金をかけようと思えばいくらでもかかりまして、いちばんは結局最近の戦争というのは、それから防衛というのは機械でやっているところが多くて、この優秀なミサイル防衛網というものを考えますと膨大にお金がかかります。エイジスという船がありますが、あれは1隻で1300億円ぐらいのものですし、F15という飛行機は、いま1機120億円ぐらいするかもしれません。猿飛佐助みたいな飛行機でして、まっすぐ上がっていくのです。飛行機というのは必ずこうやって上がっていく。なぜかというと、推進力よりも重力の方が強いからこう上がっていくのですが、ロケットというのはまっすぐに行くのは、重力よりも強い燃料をふかしているからで、飛行機の中でF15は初めて、自分の重さよりも強い推進力を持っていますから上に上がっていくという戦闘機ですが1機120億ぐらいかかります。ですから質を上げようと思うといくらでもお金がかかります。等々考えて、現在程度がいいところではないかと思います。
 
各々からの最後の提起
<司会>
 それでは残り時間が10分程度になりましたので、それぞれの先生から5分ずつ締めの発言をちょうだいして、今日の講座を閉めたいと思います。
 
<加藤>
 戦後の日本の政治というのは、否応でも東西冷戦の対立の国内版としての与野党対決ということで作り上げられてきたわけです。1992年、いまから12〜3年前に、冷戦というのが終わった段階で、日本の中の政治もガラッと変わる運命をあの時にもう内在したのだと思います。そして構造的にやはりそこは変わってきました。そういう中で社会党は苦難の道を歩み、しかし自民党というのも新たな反社会主義というイデオロギーが売り物にならなくなりましたので、また自らの売り物、セールスポイントをまだまだ模索しながらも出し得ていないが故に、両方ともバイタリティを失ったような形になっていると思います。
 特にその中に、私は小選挙区制度はよくなかったと思います。二大政党の対立というのは、その前提に二大バリュー、二大価値観というのがあって、実はその小選挙区制度というのは、冷戦構造の55年体制の時に導入して初めて意味のあったものですが、その時に考えられて冷戦が92年に終わったら、その後遅れて来た青年みたいに導入されたものですから、私はあの時に政策論争というのは起きませんよと言い続けてきたのですが、やはり政策論争は起きていないと思います。これは代議士をやっている人間はみんな分かるのですが、1対1で自民、民主でやった場合、55%ぐらい取らなければならないわけです。少なくても51%を取らなければいけないから55ぐらいを狙う。そうすると70%ぐらいの人にアピールするような演説をぶつ。すると世の中で70%の人に満足してもらう演説というのは難しいです。イラク派兵賛成・反対など、これは絶対に言ってはいけない。それは雨の降った日は天気が悪い日ですねという演説しか打てなくなる。
 いま、金日成というのが悪い奴だという演説をみんな打っても大丈夫です。ですから非常に政治主張の目立たない、面白くない、バイタリティのない政治になる運命を12〜3年前にはめ込んでしまったと思います。でもその分だけ似たような主義、主張になるわけですから、せめて憲法については、お互いに合致できるような論争をこういう時にでもしっかりとしておかなければならないし、私はいろいろ議論して、そんなに連合の皆さんと敵意をむき出しで自民党が憲法論争をするなどという時代ではないと思うし、コンセンサスは作り得るものだと思いますので、そこがうまく行くとさっき言ったように平地で硬性憲法の平時平地で硬性憲法の改正するということがあり得るのかもしれないと思っていますので、どうぞ今日、自民党の憲法論議の状況説明としては、十分だったかどうか分かりませんが、自民党の方もまずまずあまり自己主張の部分をあまり出さず、協調的なまとめ方に徹しておりますので、今後どうなるか分かりませんがよくお互いに議論できればと思っています。
 自民党の今度の取り組みがものすごく本格的に見えるというのは、論議の仕方の体制づくりなのです。総理大臣経験者全部と有力者全部を置いて、そしてそれぞれを小委員長にしてというのは、実は橋本内閣の時に構造改革をやるときに使った手法で、これのデザイナーは与謝野薫と申しますが、与謝野さんがデザインした方式でやっているわけで、ですから自民党の中も、今度は本気かなと党内でも少しいままでとひと味違った本格差があります。しかし繰り返しますが、自民党だけでできるものではないし、3分の2の賛成を得て発議するというところにトライするということ自身が議論をまとめていくきっかけになると思いますので、よろしくまた皆さんの議論も聞かせていただければと思っています。
 
<田中>
 さっきのお話しで一つ大事なことなので追加しておきたいのですが、双務制を持って、軍事行動をしてもらえるか、してもらえないかという話になると、いかにもそこだけ取り出すと片務的に見えるけれど、総合的に見て必ずしも片務的ではないと。いわゆる安保ただ乗り論というのですが、もしそういう片務的だったら、アメリカがそういうものに同調するはずがないのです。やはりいろいろな形でのアメリカにとっての利益があるから、そこに契約関係が成立するのであって、ただその一つだけ取って、だって本当に双務制を持ったものだったら、こちらがフロリダにも基地を送ってという話になります。それでまたわれわれが意思決定に主体的に平等で参加するという話になってきますから、私としては片務的だから双務的なものに変えろという議論にも必ずしも同調しないということを一つ付け加えておきたいと思います。
 それから総括として宮沢喜一先生が冷戦が終わった直後に、表に向けても言っていますが、私にも言いましたが、冷戦が終わった後、東西冷戦が終わったということは、2〜300年に一度の歴史変動だということを言いました。大げさなことを言わない人でしたから、私がそのときに、2〜300年に一度というと、明治維新の前だし、フランス革命より前に行ってしまうけれども、それでもいいのかと言うといいのだと。この間会って「こう言いましたよね」と確認したら、「そう言いました」と。だからそれぐらい大きな歴史的変動に見舞われたわけです。なおかつそこに追加されて、いわゆる右肩上がりの経済が約束されないという事態は、これは日本にとって非常に歴史的な変動です。これが二つ80年代末から90年代にかけて一緒に来たのです。そういう内外の非常に大きな歴史変動を見舞われている中で、いままでの日本の進路というのは、それぞれいいのかと。システム、いろいろな意味での構造というのものは、それでいいのかという問いかけと、合意形成をやっていかなければならなかった時期に、やはりそういうことを怠ってきたということが言えるでしょう。進路設定してこういう方向に日本は目指していくということが出てくると、それに従う省庁の再編というはもちろんあってもいいですし、それに従う行政の組織の変更というものもあったっていいし、そういう中で目指すものが明確に合意形成が行われてくる中で、もう一度憲法を見直してみようという議論もあってもいいので、私と加藤さんの話の中で、最終の結論は全く同じになったらと思ったけれども、本格的な憲法論争というのはようやくこれからできる。ここである意味で沈静化してしまいます。ですから本当に本格的な、本当に必要なのか、必要とするならば何だという議論がこれから行われやすくなったのかなという感じがしています。
 
                             【文責:政策道民運動局】