領土問題を国民みんなで考えよう
(道新ロシア極東ニュース より)
 
 対ロ領土交渉が混迷の度を深めている。日本側が提案していたいわゆる「並行協議」方式をロシア側が拒否し、見送りを余儀なくされたからである。「(現時点で双方の立場を総括すれば)ロシア側は1956年の日ソ共同宣言を踏まえ、2島の返還に応じてもよいことを示唆し、同時にそれ以外の解決はあり得ないとの立場から日本の決断を待っている。昨年3月には森首相が橋本提案を前提に4島を色丹、歯舞と国後、択捉の2島ずつに分けて協議し返還しやすい環境を整えたいとの考えを示した。これが“並行協議”だが、今回、ロシア側の拒否に遭い事実上取り下げざるを得なくなった」(3月15日付日経)のである。
 一方、ロシア下院は18日、北方領土に関する公聴会を開き、1990年代のロシア政府の立場を見直し、事実上平和条約締結交渉を打ち切ることを求めた、プーチン大統向けの勧告を基本採択した。
 
一人ひとりが考えよう
 
 日ロ間の領土問題について、政治家や専門家だけに任せるのでなく、一人ひとりが日ロの公式資料や、信頼できる日本の研究者の著作をあらためて読み直し、相互に率直に討論し、理解を深めることが、いま必要ではないだろうか。日本人は「和をもって貴し」とする伝統をもち、政府がいうことをそのまま鵜呑み(うのみ)にしがちで、批判的に見ることに慣れていない。これでは、国を挙げて戦争に突き進み、大きな被害を内外にもたらした第二次世界大戦の教訓が生かされないことになる。
 
議論の対象は4島
 
 2001年3月、森首相(当時)とプーチン大統領との会談で、日ロ両首脳は日ソ共同宣言の有効性を確認した。その宣言第9条では「両国間に正常な国交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続する。ソ連は平和条約が締結された後、歯舞・色丹の日本への引き渡しに同意する」となっており、同宣言第1 条では「この宣言の発効の日に、両国の戦争状態は終了し、両国間に平和及び友好善隣関係が回復される」(国会批准は日本は12月5日、ソ連は同月8日)とあるから、現在はすでに「正常な国交関係が回復され」ており、中断を含め半世紀にわたる平和条約交渉が継続されてきたことになる。平和条約の課題の一つは国境線の確定にある。ロシアも「日ロ間には国際法で承認されている国境は存在していない」と明言しており(3月15日付道新、袴田茂樹氏)、さらに「4島の帰属確認が重要」(2001年7月、ジェノバ・サミットでの両首脳会談)という合意があるのだから、平和条約交渉の過程で4島の帰属が話し合われることは当然である。小泉首相も、「4島の帰属を明確にしてから、平和条約を結ぶという日本の立場は一貫して変わらない」と述べている(日経、3月15日)。
 この場合、日ロ間で大きな争点になると思われるのは、サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日署名、52年4月28日発効)で放棄した島の範囲に4島が含まれるかどうか、という点である。同条約2条C項によれば「日本国は、千島列島並びに・・・ポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある。日本政府の公式の立場は、「放棄した島の範囲に4島は入らない」との態度であるが、日ロ両国外務省が共同で作成した「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料」(92年9月)では、(この問題は)「日本の国会における西村条約局長の答弁(51年10月19日)、森下外務政務次官の答弁(56年2月11日)で言及されている」と記載されている。周知のようにこの答弁は、前者は「放棄した範囲に入る」、後者は「入らない」と述べ、互いに矛盾している。両国の共同作成資料は、日本での国会答弁が5年程の間に変化したことをさらりと示唆している。「4島は放棄した島に入らない」とする日本政府の論拠は、「千島列島とはウルップ以北の18島を指すのであって、これは、権威ある歴史的・法的文献(注:「日露通好条約」や「樺太千島交換条約」)で明らかである」という点にある。
 これに対して、和田春樹氏は「北方領土問題を考える」(岩波書店、90年)で、「千島列島の範囲についての政府見解は学問的に成り立たない」ことを詳細に立証した。同氏によれば、それ以降、日本政府は「千島列島に4島は含まれない」という主張を外務省国内広報課発行の「われらの北方領土」の中に記載することをやめ、論点を「4島は日本の固有の領土であり、いまだかつて一度も外国の領土になったことはない」という主張に絞ってきているという(同書)。今後の日ロ領土交渉で、日本政府はこうした主張を貫くことができるかどうか冷静に見守りたいと思う。