伝説の通訳
「パク・ジュンギュ」のロシア情報
謹告
永らく、私たち連合北海道のために、日ロの架け橋としてご活躍いただいた「パク・ジュンギュ」さんが、1月18日午前7時8分、永眠されました。
ここに、連合北海道より心からの哀悼を捧げます。
パク・ジュンギュさんは、ソ連邦沿海州ウラジオストクでお生まれになり、当時の日本の樺太(現サハリン州)で炭坑技術者として活躍され、定年後は、労働組合の専属通訳としてソ連共産党サハリン州委員会やサハリン州労働組合評議会を通じ、日ソの交流の創生期から、極東会議などの主通訳として活動してきました。
その正統なロシア語と、常に新しい日本語は、誤解に満ちた日ソ両国民の相互理解を、正確に、迅速に進め、パクさんなしには気持ちの細やかな交流はできなかったことを、多くの日本人とロシア人が知っています。
1992年5月10日、日本に居を構えてからも、連合北海道ロシア関係顧問、北海道日ロ協会顧問として、交流事業の企画から実行、事後整理まで、日ロ両国の相互利益を進める観点で、公平に公正に事業を進めてこられました。
北海道のみならず、全国にわたる人脈は、通訳・翻訳の技量に対する信頼のみならず、人柄としても、温和に接する大きな人間性によって、培われてきました。
特に北海道においては、ロシア語を仕事とする人々の中で、パク・ジュンギュさんにお世話にならなかった人はいないのではないかと思われます。
また、単に通訳という範囲を超えて、日ロ双方の考えや意図を、正確に把握し伝達することでは、言葉通りの「架け橋」であったことも、行政・労働組合・友好団体すべてが等しく認めるところです。
そのように活躍されたパク・ジュンギュさんも、寄る年波に勝てず、2度の大きな手術を受け、体力の衰えから肺炎を完治することなく、日本の最高度の医療と、サハリン渡航の経験を持つ人々の手厚い看護にもかかわらず、再起することはかないませんでした。
パク・ジュンギュさんの果たされた偉大な功績と役割を考えるとき、これからの日ロ交流に大きな不安を覚えますが、関係諸氏の力を合わせて、パクさんの目指した「日ロの正常かつ正当な関係」を築くため、私たちは努力を重ねていきたいと思います。
ここに連合北海道は最大で最高の敬意を込め、パク・ジュンギュさんの安らかな永眠を祈ります。
2003年1月
連合北海道
会長 笠井 正行