講 演
「日本の社会保障制度について考える―北欧の先進国と比較して」
北大大学院教授 宮 本 太 郎 氏
今日の話は社会保障セミナーという事でもちろん社会保障の話なのですが、社会保障の問題は年金だとか介護保険だとか、非常に細かくてややこしいわけです。今日は細かい制度の話より、これから日本の社会保障をどういう考え方のもとに作って行ったら良いのかという根本的な理念の問題について、特に北欧の経験などを交えてお話をさせていただきます。
●小泉改革「兵量攻め」で自立と活性化?〜人々が不遇な時、不幸な時に行動力は高まらない〜
今、永田町では日本の社会保障の将来を決める大事な会合が持たれております。この4月15日にも「社会保障のあり方に関する懇談会」が開かれました。これは、形式的には官房長官の諮問機関であり、去年の9月に本格的にスタートしました。口火を切り最初の問題提起したのは連合の笹森会長です。笹森会長がその問題提起の準備をしている時に会長に呼ばれ、作戦会議をしました。笹森会長は大変シャープな方で、短時間で私が説明した事を見事に理解していただき、9月の第1回目の会合で大変素晴らしいプレゼンテーションをされました。その中身は首相官邸のホームページに、かなり乱暴に要約されてはいますが載っておりますので、機会があったらご覧になる事をお勧めします。しかし、何となく予想はしていたしていた事とはいえ、がっかりしたのはその会合に集った他の面々の反応であります。官房長官以下主要な閣僚は全部揃っているし、日本経団連の代表も来ております。笹森会長が、いま日本の社会保障をきちっと整備することがどれだけ大切な事かを諄々と問いたのに対し、まわりの反応は、「結局社会保障というのは経済の足を引っ張る」、「日本は今の財政事情からしてそんな余裕はない」、「やるとしても、社会保障というのは一部の落ちこぼれてしまった層だけを救う最低限保障に止めなければいけない」、という話でした。
こうした社会保障に対する考え方は、私は間違っていると思います。むしろ、今の日本のこうした経済的な厳しさを作り出しているのは、社会保障をさぼってきた事が原因であると思っております。例えば小泉内閣が発足してからのこの5年間に、日本の税収がどれくらい落ち込んでいるかご存知でしょうか。
2001年度、小泉内閣1年目は一般会計の中で前提になっている税収が50.7兆円ありました。これが今年の予算では44兆円まで落ち込んでいます。これだけ大きな額が落ち込んでしまったわけです。どうしてこれだけ落ち込んでしまったのか。当然経済が縮小しているからであります。その背景になっているのは、日本の経済を蘇らせるためには財政を緊縮して、人々の頑張りを支えてきたサポートを全部取り除いてしまう。こういう極めて乱暴な考え方が横行している事が最も大事な重大な要因だと思います。
例えば今年の予算編成の直前に出された『財政制度等審議会』の答申では、「地域の中では生活保護等が人々のモラルハザード(道徳的退廃)を招いているので、こうした制度を引き締めて甘えを許さないようにしなければいけない。さらに、地域に対しては交付税・交付金のような再分配の仕組みが、地方の道徳的退廃を招いている。したがって、これも整理し直して地方の自立、その中で人々の自立を実現しなければいけない」。こういう事を言っているのです。つまり、「人々を兵糧攻めにして行けば、何とかしなければならなくなった人達が何とかするだろう」。こういう考え方なのです。
私がこの答申を見て思い出したのは、スウェーデンの福祉国家をこれまで作ってきたスウェーデン社会民主党の綱領の一文です。その一文とは「人々が不遇な時・不幸な時にその行動力が高まるとか、経済の最も重要な資源である人間が疲弊している時に経済が強化される、というのは資本主義的な神話である。」というものです。そしてスウェーデン社会民主党が実現してきたスウェーデンの福祉国家は、この逆を行ったわけです。人々が本当に安心して自分の力を発揮できるような社会を作ることで、経済的にも非常に強い社会を作ってきたということです。財政制度等審議会が言うことと全く逆の事、つまり、社会保障・福祉こそ経済を活性化させる。今日はそういうお話をしようと思っております。
ここまで言ってしまうと皆さんの中にも、財政制度等審議会の言い方には賛成しないけど、社会保障・福祉というのはやり過ぎるとまずいのでは、と考える方も少なくないと思います。それは無理からぬことだと思います。日本では福祉というのが長らくそういう役割を果たしてこなかった訳ですから。ただ、そこで発想の転換をしていただくために、一つの数字をご覧いただき、実は日本はスウェーデンより負担が重いという事を指摘したいと思います。
スウェーデンと日本を比較すると、GDP(国内総生産)に占める租税・社会保障費の割合は、高福祉・高負担と言われるようにスウェーデンは51.6%、日本は28.8%で大分違います。
次に一般会計収支、つまり一般会計の中でどれくらい赤字が出ているかをGDPの割合で見ると、日本は赤字ですから−5.5%お金が足りなく、スウェーデンは福祉が人々を元気にすることで、皆が活力ある経済を作って税金がたくさん入ってくるのでGDP比で2.1%お金が余っている。日本での5.5%の赤字は、潜在的国民負担率という言葉もありますが、みんながいつか返さなければいけない借金です。ですからこれは負担率に加える訳です。それに対してスウェーデンは、お金が余っている訳ですから51.6%から引きます。それで修正国民負担率により財政赤字の分を調整した数字を出すとだいぶ接近してきます。
さらに日本人の感覚だと、税金とか社会保障費の拠出は出してしまったら後どうなるか分からない、というあきらめに近い感覚がありますが、スウェーデンではこれだけたくさんのお金を払っている以上、無関心ではいられなく、きちっと元を取らなければいけないという感覚です。実際スウェーデンではだいぶたくさんのお金が返ってきます。社会保障給付として返ってくるお金、これを日本とスウェーデンで比べてみるとGDP比でスウェーデンが31%、日本が14.7%です。さらに私くらいの年代の皆さんは、そろそろお子さんの教育費の問題が頭痛の種になっていると思いますが、これもスウェーデンだと6.6%返ってきますが、日本だと3.6%です。この返ってくる分を負担から引いた修正国民純負担率で見ると、日本人の方が負担が大きくなります。
つまりあれだけ手厚い福祉をし、大学は無料で子育てにほとんどお金をかけさせない国の方が国民の負担としては余裕があるのです。その結果、GDPの成長率は1995年から2000年までの平均を両国で見ると、日本は1.2%ですがスウェーデンは3.1%で、日本よりずっと経済の元気が良い訳です。
スウェーデン人の経済的な生活の余裕が最近とても悲劇的な形で表現されてしまいました。それはあのスマトラ沖の大地震です。あの沿岸の高級リゾート地に、人口900万人のスウェーデン人のうち2万人以上が押し寄せていて、今回そのうち3,000人の行方不明者が出てしまいました。世界の中でも一番大きな犠牲です。しかしそこに集まっていた多くの人は、スウェーデンの中では決して高所得層ではなく本当の庶民なのです。
私も地震の後あわててスウェーデンの連合LOの友人に連絡をしました。そうしたら案の定、何人かのLOの専従職員が行方不明になった、と悲痛なメールが返ってきましたが、本当に労働組合に団結しているような普通の庶民が、それだけ余裕のある年末の休暇を楽しむはずだったのです。それが暗転した訳ですが、その悲劇を通して私達は改めてスウェーデンの余裕のある生活を知る事となりました。私達がしばしば思っているように、税金と保険料に全部取られて、息も絶え絶えという印象といかに実像が離れているかという事を再確認した次第です。
もちろん私は、スウェーデンを賛美してスウェーデンこそ私達のモデルだと言っているのではありません。ただ、あまりに高福祉・高負担とか、社会保障が経済の足を引っ張るという事が政府やメディアから強調されて、私達がそういう考え方にとらわれがちなので、あえて強調せざるを得ない部分があります。
今、私達が空気のように感じていた、安心とか安全がどんどん掘り崩されております。先日の兵庫県のJRの事故ひとつを見てもその通りだと思います。あの事故の原因についてはこれから究明が進むと思いますが、ひとつはっきりしているのは、オーバーランをしてしまった運転士が、その先に待ち受けている過酷なペナルティから自分や家族を守るためにスピードを上げたと言うことです。
日本社会は、先ほどの財政制度等審議会が掲げた兵糧攻めではないですが、人々を苦境に陥れることで頑張らせようという流れの中にあります。そして、この事が私達の社会をいかに殺伐とさせるだけではなく、経済的にも脆弱な社会にしてしまうという事にまだ皆が気付いているとは言えません。
さて、先ほど見ていただいたように、日本は社会保障負担が非常に少なく、税金と合せて小さな制度・小さな福祉国家です。なぜこれでこれまでやってこられたのか。また、それにもかかわらず、今とんでもなく大きな財政赤字を抱え込んでしまっている。これはどうしてなのか。さらに、何故いま日本で急に社会保障改革が問題になっているのか、その上で、どういう社会保障改革を目指せばよいのか。それを探る上でのひとつの大事な判断材料として、どうしてスウェーデンでは大きな福祉国家で元気な経済を作ることができたかのカラクリぐらいは理解しておく必要があると思います。そして、スウェーデンも何から何まで全てがうまく行っている訳では無いという事実を踏まえながら、大きな福祉国家が経済的にも必ずしも悪くないという現実をも十分おさえて、日本がどういう福祉社会・福祉国家を設計して行くべきかを考えたいと思います。
● 日本型福祉は機能しなくなった〜日本型疑似福祉のカラクリ〜
さて、日本はこれまでも小さな福祉国家政府でありましたが、政権与党はまだまだ小さな政府にしないとだめだというアピールをしています。しかし、少なくてもこれまでは、経済的には順調でした。なぜ、日本はこれまで社会保障にお金を使ってこなかったのにうまくやってこられたのでしょうか。
例えば、相対的貧困率(所得の中位の人の半分以下の所得しかない人の割合)は、日本は1995年の数字で8.1%、スウェーデンは87年の数字ですが7.6%です。しかし、アメリカやイギリス・ニュージーランドに比べると日本の相対的貧困率はずっと少ないのです。アメリカは18.4%くらいですから、日本はその半分以下です。
もうひとつ、小さな福祉国家の日本が社会的安定を保つために、どういうカラクリが動いていたかを見る上で注目したいのが、ジニ係数です。ジニ係数とは、1〜0の間の数字で世帯間の格差を見たものです。この数字が大きければ大きいほど世帯間での所得の格差が大きいということです。日本の経済がまだ良かった80年代で移転前(社会保障の保険料・税金を集める前)と移転後(集めた後)の格差を比較して再分配効果を比べると、スウェーデンは53%、アメリカでも25%です。日本はわずか10%ですから移転前も移転後もほとんど差がありません。この数字だけで見ると、日本の再分配効果はほとんど無いのですが、しかし、日本は移転前から当初所得・一次所得でひどい格差はなく、皆に回るような仕組みが出来ていたという事です。
どの国でも、戦後福祉国家が発展してきたプロセスというのは、産業化・近代化が進んで地方から都市へ人が移り、それまで地方で行われていた相互扶助の変わりに、都市の自治体などがサービスを提供したり所得を保障したのが出発点です。
日本でも、田中角栄総理の時代に大規模な人口移動が頂点に達しました。すると、地方から都市に票が移るため、あせった政権与党はそれまで地域開発のために使われていた公共事業費を、有権者が都会に移らなくても生活できるような仕事を作るために使うようになりました。このため公共事業費がどんどん拡大し、自治体が交付税・交付金を地域総合開発事業債返済のために使えるように国が後押しをしたこともあり、公共事業はさらに拡大して行きました。その結果日本の公共事業費は、アメリカとそれまでEUに加盟していた15の国を全部集めたよりも多くなりました。土建国家などと言われ、公共事業費が福祉の代わりをするようになったのがひとつです。
もうひとつは、釧路の中心街の状況とも関わってきますが、これまで街の中心部の商店街がなんとかやってこられたのは、例えばイオンなどのような大型店の出店が規制されていて、日本の物価が高かったからです。物価が高くなる理由としては、流通経路の複雑さや保護・規制の仕組みが大規模な小売店舗を抑制して消費物価を上げてきたからで、ある意味、零細な商店が成り立つための雇用税とも言えます。また、中小零細企業や建設業で働いている人達がこのことにより保護されてきたとも言えるでしょう。
これに対して大企業に働いている人達は、欧米なら児童手当や廉価で良質な公共住宅などで提供されていた財を、終身雇用とか家族賃金の形で受け、これが欧米の福祉国家の代わりをしてきました。企業内福利厚生・企業年金も大きな要素でした。
このように日本の社会では、中小・零細企業は大店法などの規制により、大企業は長期雇用・家族賃金などにより、所得と収入は保障されていました。
所得と収入が保障されても、介護や育児は誰がやるのか。本来なら、自治体が公共サービスとして提供するはずですが、日本の場合は雇用と所得が保障されていることを前提に、福祉国家の代わりに家庭で主婦が福祉の現業労働者として頑張ったのです。
日本では、以上のような日本型福祉の三本柱が、欧米における福祉国家の代わりを果たしてきました。これにより、本来の福祉政策・社会保障政策はどうなったかというと、企業や業界がそれぞれに国民年金・厚生年金など分立する形で出来上がり、一元化は進まず、主婦が家庭で福祉現業労働者としての役割をまっとうできるように、第三号被保険者制度や配偶者特別控除が出来上がりました。
さらに、日本型福祉の三本柱から落ちこぼれた人に対する生活保護などは一段と抑制され、さまざまな締め付けがなされて容易に受けられなくなりました。
しかし、ここに来て、日本型福祉の三本柱がうまく機能しなくなってきました。長期的雇用慣行(終身雇用)が過去の話になり、公共事業が枯渇し、規制緩和の波がゆってきました。一方、家族福祉にも限界がきており、母親が育児や介護で疲弊しているのを見て、結婚に対する期待感が薄れ、20代後半の女性の既婚率は世界でも一番低くなりました。この晩婚化が少子化を進めることになりました。また、結婚した夫婦も子どもをつくることに慎重になり、出生率も1.29まで下がってきました。
家族負担が大きすぎるとどのようになるかという事をこの少子化が示した訳ですけど、逆に言えば先ほどの福祉に成り代わって働いてきた日本型の擬似福祉のカラクリの三本目の柱が、根本から揺らいだということです。これで三本の柱が全部揺らいだということなります。当然この揺らぎというのは、その三つの柱の上に作り出されてきた狭い意味での社会保障制度・年金制度・生活保護制度・家族介護の仕組みを根本から揺るがすことになっている訳でありまして、どういう福祉をこれに変えて打ち立てていくのかが課題です。
●市場主義的改革に代わる政策〜がんばりが報われるスウェーデンの福祉政策〜
今多くの人達は、一つは先ほど申し上げた福祉とは、経済の足を引っ張る今の財政事情からして贅沢はいえないとの思いが沁みついている、あるいは沁みこまされていることから、もう一つは、これまでの主婦は家庭に、サラリーマンは会社に、業者は業界に地域に、きちっとおとなしくしている事で生活が保障されるこの仕組みに、つらさを感じています。現在の会社や環境を変えようとすると、生活の保障が無くなるというリスクを背負うからです。そこで政府は市場主義による構造改革をすすめましたが、その結果人々の格差がどんどん広がり、若者たちが将来に対する希望すら失うような社会になってしまいました。
それでは、市場主義的改革に変わる政策とはどういうものがあるのでしょうか。
これには大きく言えば二つの柱があると思います。自立支援型の福祉と頑張りが報われる福祉であることです。連合に結集している働き手の皆さんは、客観的に見て日本社会の中では中間層の方が中心になっていると思います。福祉とか社会保障はその方々にとってどういう意味を持つのでしょうか。うまくいっている人達からお金を持っていって、うまくいっていない人に回すイメージがあると思います。実際、アメリカなどではそういう福祉もあります。ところが、スウェーデンの福祉はちょっと違うのです。まず、保険料の負担・拠出は全部雇用主です。年金改革で年金の部分だけ労働者の拠出部分も出来ましたが、それ以外の医療も失業保険も育児休暇中の所得保障も雇用主の負担です。給付は従前の所得の約8割となっています。
・育児休暇
例えば、スウェーデンの育児休暇中の所得保障(両親保険)は、子どもが出来ると最長490日間給付され、360日間は従前の所得の8割がもらえます。その内の2ヵ月分は男性しか取れないパパの月となっており、これを取らないと出勤しなくても従前所得の8割が保障される権利を放棄することになりますので、男性の育児休暇の取得率はスウェーデンでは44%になっています。ちなみに日本では0.4%です。このように頑張りが報われる福祉政策が整っているので、日本の女性は働いていると子供を産みにくいが、スウェーデンでは働いてないと子供を産みにくいのです。従前の所得の8割が保障さけるのですから、スウェーデンでは子供を産もうと思ったらまず働きます。しかも、どうせ8割もらうなら、初任給の8割よりも頑張って働いて給料を上げて8割もらった方が良いので、女性の出産年齢は30代半ばに集中しています。育児休暇以外でも全部従前の所得の8割ですから、中間層の頑張りが所得保障によって評価され、自分に返ってくるわけです。
スウェーデンのGDPに占める社会保障の保険料給付額を見たときに、なぜあんなに大きな額か、また、よくあんなにたくさんの税金を取られて働く気がするなと思いますが、実は全く逆なのです。つまり、病気になったり子どもが出来たときに、中間層の所得水準が維持されるだけの規模のお金を用意しておくために、スウェーデンの福祉財政はあれだけ大きくなったのです。最低限保障ではなく、今の生活の保障をすることがスウェーデンあるいは北欧の考え方です。年金改革の中で、連合の人達が年金制度を通して現役時代の所得に比例した給付が行われることを求めることは、北欧的な観念からすると間違いではないのです。もちろん、この事と最低限保障をどうするかは、別に考える必要があります。福祉がみんなのやく気を削ぐのではなく、福祉がみんなのやる気を高める、これがポイントです。また、給付の目的として頑張りに報いることと同時に、頑張りを可能にする・自立を支援するということが根本にあるのです。
・教育制度
子供を作ると働けないとか、新しい仕事にチャレンジしたいがその仕事に対する知識や技能が無いという困難に出会ったとき、日本ではあきらめるケースが多くあると思います。しかし、従前の所得の8割が保障されるとしたらどうでしょうか。
日本で少子化が進んでいるひとつの背景として晩婚化がありますが、早く結婚した夫婦も子どもを産まなくなっています。なぜかと言うと子育てにお金がかかりすぎるからです。一人の子供を育てるのに日本ではだいたい2,000万円かかると言われています。ちょっとした理科系の私立大学などに入れると4,000万円だそうです。子ども一人がマンション一戸分です。これではなかなか子どもを産むという気にはなりません。
スウェーデンでは、子育てにお金をかけさせない・次世代をきちっと作り出していくという考え方が徹底されています。その例として、私自身何度かスウェーデンに留学しておりますが、一度子どもを小学校に入れたことがあります。まだ二年生でしたが、入学式の日にたくさんの荷物をかかえてフラフラになって帰ってきました。教科書はもちろん、ノート・鉛筆・上履きその他一切がっさいが支給されていました。こんな物までもらって良いのかと思うぐらいでした。翌日から早速給食が始まるのですが、朝から食堂が開いていて朝飯から食べられます。中には父母が子どもと一緒に学校に付いて行って、ちゃっかりと朝ごはんを食べてお金を浮かしている姿も見られました。これも結構みんなやっているので別段恥ずかしくもないんです。また、児童手当は所得調査なしで、16歳まで子ども一人に対し年間16〜17万円支給されます。さらに20歳までは学習援助金が支給され、下宿をしていると月に最大3.5万円ぐらいが出ます。大学も学費が無料に加え、就学支援金として返さなくて良いお金として週8,700円ぐらいが出ます。子育ての経済負担を軽減することで家族が安心して働けたり、自立のために使うお金が確保されると同時に、次世代を養成するという考え方で、子育てにお金をかけさせてはいけないという考え方が徹底しています。
先日、児童の学力調査で、フィンランドの子どもがたいへん成績が良いというデータが出て、日本の教育関係者ががっかりしましたが、成人の学力調査ではスウェーデンが飛び抜けています。高等教育を終えていない市民の学力が、他の国の高等教育を終えて大学を出ている人達の学力を上回っています。その背景として自治体が責任を持つ生涯教育に力を入れている点があります。自分がやりたい仕事についた後、もう一度市民が学び直すという夢を実現する後押しています。さらに、学習サークルが市民生活に根付いていて、4人以上が4週間以上何らかの勉強をする市民の集まりに対し、その費用の75%を自治体が補助するという制度もあり、サークル数が33万あります。900万の人口の中で33万サークルの市民の勉強会が動いています。今、スウェーデンでは経済が良いひとつの要因として、IT産業がすごく元気なのですが、スウェーデンのIT産業を引っ張っているのは市民です。市民の勉強会で一番好まれたのがコンピューターでした。コンピューター会社も、みんながコンピューターに対して意識が高まると機械が売れるので、率先してその勉強会を作らせました。その結果市民がインターネットと繋がっている割合が世界で一番となりました。
さらに、何らかの理由で勉強をし損ねた人達に対し、国民高等学校があり、20万人が入学できます。これは一応試験があるのですが、試験の結果が悪かった人から入れていく学校です。また、大学はいつでも行ける訳ですから、日本と違い25歳以上の大学生比率が62%と高く、自分のやりたい仕事に付くためにはこういう勉強が必要だと感じた時に大学に行くのです。
・高齢者雇用
高齢者に対しても色々な自立支援があり、基本的にはまだまだ働ける高齢者には働いてもらうのが当たり前になっています。1997年に出来た雇用保証法では、67歳まで年齢を理由に処遇を悪くしたり解雇することを禁じています。そのためスウェーデンでは年金も高いし高齢者の施設も非常に立派なのにもかかわらず、高齢者の雇用率がOECDの他の国と比べてもとても高くなっています。これは、労働法制上の措置のみならず、高齢者が自分の条件に合った働きやすい労働環境が作られているからです。同時に、働くことが出来なくなった高齢者に対しても立派な高齢者施設が作られていて、基本的に個室で40平米くらいあり、それまで住んでいた家の家具が持ち込まれていて、元気な時の記憶が維持されるような配慮がなされています。一見ぜいたくすぎるように感じるのですが、そうやってお金をかけることにより、お年寄りが最後まで誇りを持って頑張れるエネルギーを引き出し、寝たきりで高額な医療費がかかる人も少なくなり、結局合理的であると言えます。
福祉は一部の困った人のためだけのものではなく皆のものであり、困った人を出さないようにして皆を頑張らせる。そのため、頑張っている人達が直面するさまざまな問題(誰しも直面する広義のハンディキャップ)、例えば子どもが出来て働き続けられない・就きたい仕事に対する技能が無いなどを取り除く支援をすることが目的になります。
ここにスウェーデンの中学校の教科書がありますが、この中に「子ども」という詩があり、先日皇太子がこの詩の一節を記者会見の席上で朗読したことで話題になりました。「批判ばかりされた子どもは非難することを覚える、殴られて大きくなった子どもは力に頼ることを覚える、笑い者にされた子どもは物を言わずにいることを覚える、しかし、激励を受けた子どもは自信を覚える、寛容に出会った子どもは忍耐を覚える、称賛を受けた子どもは評価することを覚える、フェアープレイを経験した子どもは公正を覚える……」とあります。ここには「兵糧攻め」の思想と、全く逆の思想が表現されています。また、ハンディキャップについてもとても広い意味で定義し説明されております。このことから考えると、全ての人々が何らかのハンディキャップを持っており、それはその人が抱え込んだ運命ではなく、社会が手当てすればそのハンディキャップは除去できるのです。ハンディキャップを取り除くにはコストがかかりますが、人々に活動の場を提供し、それが自立に繋がればかならず元はとれるのです。
実際スウェーデンの現実は、経済成長率で見ても失業率で見ても、財政の黒字で見ても、こういう福祉を手厚くやった上で元を取っているのが明らかです。これは、財政制度等審議会が地方に対する兵糧攻めの正当化として言う自立強制ではなく、自立を支援するという考え方を貫いた結果であるわけです。
●人生の5つのステージに橋をかけよう
ではどういう社会としてこれからの日本、特に地域社会を展望すればよいのでしょうか。世界中どこでも皆が歩んで行く人生には5つのステージがあります。これからの社会保障・福祉政策は、この5つのステージに橋をかけ、それぞれを結ぶことです。
1の橋は生涯教育・高等教育など各種の教育に対する支援給付の橋です。日本では一度就職した後、会社を変えるには処遇が悪くなるなどのリスクを抱えます。この1の橋があると就職をしてからでも学ぶ必要が出来たときに再び教育をうけのことも出来ます。2の橋は主婦が子どもを産んだり、家庭に入った後でもまた社会に出て働けるための、介護・育児サービスの橋です。当然育児休暇中の所得保障もあります。3の橋は積極的労働市場政策で、皆が仕事に就いていることが出来るための職業訓練や万一仕事を失ったときにもしっかりした雇用保険の給付がうけられます。4の橋は高齢者の就労支援や柔軟な年金制度で、働く意欲のある高齢者にはしっかり働いていただくことです。そして、この4つの橋を大きな輪で結び、それぞれの福祉の目的と一体化した、バリアフリーの街づくりや住宅・電気・水道・交通などの基本的インフラ整備のための、都市環境づくりが大事です。自立支援型の福祉とかみ合う参加型の都市づくりのために公共事業が生かされ、公共事業か福祉かという対立から、公共事業と福祉が連携をして皆が頑張れる社会を共に作って行くことが必要だと思います。公共事業に携わっている人達も、必要の無い道路やダムを作ることで自分が蓄えた大事な技能を無駄にしたいと思っている人はいないでしょう。ですから、こういう形で福祉社会を一緒に作って行く陣営に、公共事業をこれまでやってきた人にも参加してもらい連携して行くことが大事だと思います。(文責・連合北海道)