12月25日

11月28日〜12月25日の28日間にわたり、のべ106人(うち一般参加26名)のボランティア団を派遣した新潟中越地震ボランティア団は、全ての活動を終了し、第四期の25名も無事に北海道に帰ってきました。
 参加者全員が、ボランティア活動に汗を流すとともに、現地での活動を通じ、「ボランティアのあり方」「地域・人と人のつながり」などについて体験し・考えた28日間であったと思います。
 皆さん、本当にお疲れ様でした。
 初めての取り組みであり、不慣れな事務局運営によりご迷惑をおかけしました。すみませんです。
 最後に、ボランティア団に参加者を派遣、支援して頂きました、産別・地域の仲間の皆様に心より感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

(終了)

12月24日

今日はクリスマスイブです。先祖代々の由緒正しい「隠れキリシタン」の私としては、日頃もろくに教会に行かず「隠れ」ておりますが、今年は「新潟県・大湯の里」でのクリスマスを団員の皆さんと大々的に「打ち上げ」とともに迎えます。(皆川)





さて、その前に、いよいよ撤収作業です。
 撤収作業には事務局のほか、一般参加の石若さん・久保田さん・楠野さんにお手伝いをいただいています。長靴・寝袋・軍手・ヘルメット・バケツ・ゴム手・防塵マスク・事務用品の清掃・整理・梱包・発送…、




そして、無理難題を聞いて頂き、こんなにもお世話になった「保栄館」にも少しばかりの恩返し…。 

12月23日
   
非難された方々の仮設住宅への移転、避難所・物資センターの閉鎖、そして各地のボランティアセンターが次々と県外ボランティアの受け入れをやめ、県内・市内、地域のボランティア受付へと、確実に「復興」に向けた「次の動き」が進んでいます。JR連合の伊藤さんも大活躍です。 私たちの活動も小千谷市役所での活動のみとなりました。 市役所の活動もスペースの関係から「要請数」が限られ、川口町のボランティアセンターに行ってみましたが、天候のせいか活動要請も少なく、また多くのボランティアがすでに登録しており、活動はできませんでした。 大変、喜ばしいことですが、事務局としとては「やる気まんまん」の団員に大変申し訳なく思っています。

12月22日

本日、渡部連合北海道会長が、自治体・各派遣先を表敬訪問・団員の激励に現地入りしました。小千谷では市役所を表敬訪問し、佐藤助役が「ご無理を聞いて頂き、大変ありがたく、ご支援に感謝しています」と述べられました。渡部会長は「お役に立てて良かったです。完全な復興まで長期スパンでしょうが、頑張ってください」と激励しました。 




小千谷市役所で、新たな事務活動をされている長岡さん、若松さん、内海さんの活動場所にも訪問。「あと一踏ん張り、頑張ってください」と激励しました。





大手高校の物資センターは、最終閉鎖を迎えました。
責任者の方は不在でしたが、担当者の方にお会いし、「長い間の力強いご支援に、本当にありがとうございました」と感謝の言葉をいただきました。


 けさじろ も本日で最終閉鎖です。今日、「けさじろ」の意味を会長に質問されて、山根さんが答えたことから、初めて名前の意味を知りました。「今朝白」という地名でした。あと三日で終わるというのに…。けさじろ では、午前中の物資の大移動に汗された皆さんとお会いしました。皆さん「達成感」で笑顔です。
高齢者センター「けさじろ」では、センター長・山古志村の役場の方々ともお会いし、大変感謝されました。

 
 長岡市に分散・派遣や同じ小千谷市でも夜勤があり、全体が夕食を一緒にしたのは、第一期の初日と今晩だけでした。 明日は全員、第一期から恒例の「へぎ蕎麦 夕食会」に行かれるようです。明後日はクリスマスイブ・そして最終の打ち上げです。最後が肝心、あと2日頑張りましょう!   全水道の日下さんです。ボンズ病菌の発生源は彼です。

12月21日


← 一般参加された若松さんと内海さんです。
内海さんは親子で参加されました。川口町のボランティアセンターで寒風の中、「ボランティアへの食事担当班」の運営に携わりました。川口ボランティアセンターは積雪に備え、テントからプレハブへと移転し、引っ越し作業にも汗しました。確認はしていませんが、若松さんの「高速道路」の運転は、なかなかの運転であると噂されています。是非、安全運転をお願いします… 

小千谷市役所で活躍する八木さん(自治労)と伊藤さん(全水道)です。現在、伊藤さんは苦悩しています。八木さんの髪型と、一緒に参加した先輩の日下さん(全水道)が同じ髪型であるからです。「仕事のできる人はボンズ…」。全水道の永井委員長、伊藤さんは新潟の地で「より仕事のできる人」になります…ご期待ください。→

   ← 日下さん(全水道)と内海さんは市役所の罹災証明の受付で活躍しています。内海さんは、すでに第三期の引き継ぎを受け、完璧な「市役所の総合案内」です。 日下さんは「仕事のできる人」ご本人です。現在、第四期では奇病の「仕事のできる人病」、名付けて「日下病」が蔓延しつつあります。事務局の皆川・山根も明後日に「感染」する予定です。 暇が無く難しいかと思いましたが、日下さん曰く「バリカンですから、早いですよ」とのことです。23日に感染してきます。
 
 総合体育館の自称「お掃除オバチャン軍団」です。→ 避難所撤収の後の現状復帰のための清掃・後かたづけに大忙しです。カメラを向けてもなかなか顔をあげてくれません。表舞台に出ない、人のいやがる「撤収作業・後かたづけ」を、こんなに一生懸命にやっていただいています。一般参加者の方がたが多く、ちょっと違うボランティアを想像してこられたはずです。心から感謝申し上げます。


 ← 自称「お掃除オバチャン軍団」のアイドル、長岡祥吾君です。16歳の彼は身体的には余裕ですが、精神的に苦労しています。彼の最大のボランティア活動は、自称「お掃除オバチャン軍団」の方々が活動しやすい環境づくりです。 夕食時、「日下病」への感染について持ちかけましたが、自称「お掃除オバチャン軍団」の方々からブーイング・拒絶されました。すまん祥吾君、あと4日耐えてくれ。
 


「軍団」の頭領…山本さん(サービス連合)です。→
事務局として、「山本さんに任せておけば大丈夫」と全幅の信頼を寄せています。何から何まで助けられっぱなしです。新潟空港から現地に入るまでの最初の一歩から「チームワーク・人間関係」にご尽力頂いています。サーヒス連合の佐藤書記長、センチュリーロイヤルホテルの最上階、360度回るレストラン・バー「ロンド」で御慰労をお願いします。

← まだ8時半だというのに、疲れ果てて寝てしまった、事務局の山根さんです。彼が疲れはてているのは業務内容か、私、皆川の相手か…。一昨晩、私がこの4週間の「思い」を長時間にわたり語り(私はスッキリしましたが)、彼は「重い」時間だったようです。(あ、オヤジギャグ)いや、すまんです。情報労連の工藤議長、情報労連会館となりの「ライオン」での御慰労をお願いします。


 12月20日

第三期総括で「私たちの活動はテレビに映ったり、被災者に直接関わるものでは無く…」と記載しましたが、「被災され、避難された方々」には避難所で直接関わっています。またボランティアセンターからの活動にも何人かが参加してますから、「全体としては直接関わることは少なく」が正確です。
 そして訂正がもうひとつ、今日で避難所の全てが閉鎖され、私たちが関わった長岡市の「けさじろう」と小千谷市の「総合体育館」も閉鎖されたのですが、そのテレビニュースで大きく映ってました「連合北海道の青いジャンパー」…しかも全国ネット…けさじろで活躍する北教組元副委員長の生越さんはアップで映ってました。…ついついニヤリとしてしまいました。

  けさじろ は最終のかたずけ・物資撤収であと2日で全面撤退します。重要な「撤退に向けた最終活動」のボランティア、是非ガンバってください。お願いします。 

 

今日の日記は、もうひとつ「仮設住宅で汗を流す大手高校班」をご紹介します。
ここで活躍するのは連合北海道の千田班長のもと、JR連合の昆さん・伊藤さんとフード連合の加藤さんです。
避難所は今日で全て閉鎖されますが、仮設住宅への物資搬入など、もうすこしだけ物資センターの大手高校は活動が残っています。
 今日は加藤さんが大手高校で司令塔となり、千田さん・昆さん・伊藤さんが長岡市の青葉台の仮設住宅で物資搬入に汗を流しました。 この大手高校も、最終のかたずけをして、あと二日です。千田さん、長岡を頼むね。

12月19日

  小千谷体育館にて、カメラを見る余裕もありません。  「躍動的な私を撮って!」と、毛布運びに汗を流しているのはサブリーダーを勤めるサービス連合の山本さんです。すでに太ももが筋肉痛でーす!!



 富塚さん、帰り際、一緒に活動したサカマキさんと一緒に「ツーショット写真!!」。1週間を終えて、先日の疲れ切った表情とは一転、充実感溢れる笑顔でした。しかしその笑顔の奥には、いっしょに過ごした仲間との別れに寂しさが・・・。1週間本当にお疲れ様でした。


 長岡のけさじろうです。第3期と第4期のメンバーが勢揃い!!右から 生越さん(一般)・阿部さん(連合北海道)・鈴木さん(自治労)・田頭さん(全農林)・瀧本さん(北教組)・上谷さん(全農林)・村田さん(一般)・富塚さん(一般)。真ん中の女性は、いっしょにボランティアをした山古志村のサカマキさんです。  3期のみなさん、大変お疲れ様でした。今頃は札幌ですね・・・。  4期の皆さん、後は頼みました!!! 本日から、第4期の皆さんがそれぞれの現場で活動をはじめました。小千谷体育館の夜勤を自らやりきると誓い合った自治労の長岡親子です。夜勤はきついですが、体調には気をつけて、親子”愛”で乗り切ってくださいね。^-^


   本日の日記は第三期から事務局を担って頂いている山根さん(情報労連)に作成して頂きました。 班割り・配車・部屋割り、加えて小千谷・川口・長岡・新潟を行き来する日々の業務…そして、とうとう「日記」まで。
 しめしめ、では皆川は、朝に・昼に珈琲でも飲んで、夜はワイングラスを傾ける優雅な日々を…。

12月18日

 第三期総括
 新潟中越地震 連合北海道ボランティア団も第三期が終わろうとしています。
 第三期の皆さんも本当に頑張っていただきました。心より感謝申し上げます。
 第三期は、本日、第三期の塚田さん(私鉄総連)が感じ、夕食時に述べられましたが、「避難から復興へ」の折り返しの時期のボランティア活動でした。
 小千谷市で、長岡市で、避難所から仮設住宅へと、被災・避難された方々の引っ越しが始まり、小中学・高校の体育館など避難所が閉鎖となりました。小千谷のボランティアセンターも全国からのボランティアの受け入れから、「県内」ボランティアへと、地域の連帯、自主・自立へと方向が変わりました。
 第三期のメンバーには、活動先の急きょの変更など、大変ご迷惑をかけたと感じています。しかし、災害支援のボランティアとして、この時期に関わる事ができたのは大変有意義な事であったとも考えています。
 なぜならば、他府県より面積が圧倒的に大きい北海道ですから、面積だけで考えれば、望むものではありませんが天災も数多く発生すると考えられます。
 第二期には「有珠山噴火」で、さらにこの第三期では「南西沖地震」により、全国から多くのボランティアが駆けつけていただいた胆振地協・桧山地協から5名ずつ合計10名の連合組合員の方が参加されました。この新潟の地に私たちが入ってからも、釧路・留萌と被害こそ少なかったものの大きな地震がありました。
 天災に対し、「ボランティア」ということだけを言えば、私たちは今回の「ボランティア派遣」で得た知識・教訓を通じ、万が一の時の「ボランティア受け入れ」も考えていかなければなりません。「連合」は、行政から流通、教育・エネルギー・通信・水道・販売・建設・金融…と生活の全てに関わっているといっても過言ではありません。万が一の天災が発生したとき、この大きなネットワークを生かし、他の諸団体・NPOと連携し、迅速に的確に「避難から復興へ」と結びつけるために「準備」をする必要があるのではと感じています。

 第四期は、この点についても経験を得つつ、これからの一週間の活動に取り組んでいこうと考えています。
 第三期のメンバーも第一期・第二期と同様に、夕食時に、さらに夕食後の懇談の時間にと、その日・その日の自らの体験を踏まえ、これが絶対正解と「唯一の答え」があるものでは無いとは思いますが、「ボランティア」「助け合い」「地域」…と、大いに語り合いました。一部、「自らの恋愛体験披露 Night」もあったようですが、それは新しい事務局の若い山根さんに参加していただきました…。
 さぁ、これから第三期の打ち上げが始まります。私たちの活動はテレビに映ったり、被災者に直接関わるものでは無く、市役所の狭い一角での事務作業であったり、体育館での受付やトイレ掃除など、「陰」の部分が大半を占めるものであるかもしれません。
 しかし、私たちの活動は誰かがやらねばならない「必要」なものであり、いま、「やり遂げた」充足感で一杯です。
第三期の皆さん、本当にありがとう。

今日は第三期の土曜日帰り組と、第四期の入れ替えです。 たった今、各派遣先に残っていただいている「引き継ぎ(次期への)」組のもとへ、第四期の22名を送り届けることができました。一安心です。 事務局も少しばかり忙しく写真を撮ることができませんでしたので、昨晩撮影した、宿泊宿「保栄館」の7代目の「りりしい姿と名物料理」を写真でどうぞ。

12月17日

 いつか、もしかしてと、予想していましたが、とうとう。…けが人もなく、自損事故なので相手もないのが幸いです。どうも、すみません。←

 新たな派遣要請を受け辻田さん・中村さん(運輸労連)が志願・派遣された長岡高校は、予定通り今週末で避難所は閉鎖されます。
 今晩、金曜日の夜勤をつとめ、まっすぐ新潟空港に来られる予定です。最後の踏ん張りをお願いします。辻田班長、「気絶」されるのは飛行機が飛び立ってからです。事務局のカメラのみならず、御身内の運輸労連の皆さんのカメラが狙っています。特にお隣の中村さんが…→

 大手高校は今週末の避難所閉鎖が伝えられたことから、「引き継ぎ不用」であり、土曜日に帰る方々を配置し、第四期の方々も撤収後の後かたづけなどの活動を予定しておりましたが、23日まで撤収が延びる事が本日判明し、継続活動を要請されました。引き継ぎを全く想定していなかったため、事務局は第四期の班割・配車に苦悩しています。
写真は、さわやかな吉田さん(JR総連)の配達物資の積み込み作業です。


 長岡市「けさじろ」も来週のなかばには、山古志村の皆さんが仮設住宅に引っ越しされ、避難所は閉鎖される予定です。

 5階建ての建物で支援物資が5階に保管されていることから、最終退去時の物資搬出は大変です。現在の第三期の皆さんが活動の合間をみて、少しづつ整理していただいています。…だから田頭班長は、いつも半袖で、富塚さんは疲れ切った顔をしているのですね…




 年内一杯は非難された方がいらっしゃるので、第四期の最終24日まで派遣を要請されていた小千谷総合体育館ですが、仮設住宅への引っ越しが早まり、18日・19日での閉鎖が計画されています。
 一カ所7名は最大数の派遣先であり、夜勤のシフトがあるなど派遣者の人選(班割)に気を使うところですので、市の最終協議結果を待っています。
 現在、第三期は木下班長のもと、杉山さん・横田さん(桧山地協・自治労)、白木さん・小倉さん・渡部さん(JR総連)、松永さん(一般参加)の7名が活動されています。
 体育館組より「HPに女性の写真しか載ってない」とのご指摘ですので…全体写真と、もう一枚を…。

 今年は珍しく初雪が遅れていた新潟ですが、今日、とうとう初雪が降りました。
 第三期の皆さん、雪は珍しくない私たちですから防寒をしっかりして、第三期の最後の活動をよろしくお願いします。
 小千谷総合体育館の早期閉鎖や長岡大手高校の活動延長など、現地での動きが流動的になってきました。相手があることですからしかたありませんが、事務局は調整に大忙しです。がんばってね、山根君…


12月16日

 情報労連から事務局に派遣の山根さんです。
 第四期の班割り・部屋割り・第三期と四期との入れ替え、配車に夜遅くまで忙しい時を迎えています。
 前任の佐々木さん・自治労と異なり、私に似て、なかなかイケメン君ですが、今年の6月に結婚し新婚さんであるにも関わらず、結婚後の初めてのクリスマスを別々に、彼は新潟で迎えます。…ガラスの家庭にならないことを心から祈っています。情報労連の工藤議長、帰ってからの特段の御配慮を…。


 昨日、車中で「気絶(爆睡)」された運輸労連の辻田班長、そして中村さんは、今日から長岡高校に派遣されました。昨日の「日記」をご本人、運輸労連の皆さんにお見せしたところ、「家で家族が(日記を)見ているんだよなぁ」と言いながらも、「こりゃ、一瞬のスキも見せられんな」と、大爆笑で許していただきました。(辻田さんのご家族の皆さん、すみません)
 今日から長岡高校の避難所の人員補強のため、二十四時間勤務につかれます…夜勤もあります、本当に激務なんです…土曜日の帰りの車中のカメラにご注意を…。


← 小千谷市役所に派遣された全開発の市川さん、菅原さんです。被災証明に庁舎を訪れる市民の方への案内とのことでしたが、ブルーの連合ジャンパーが目立つのか、「住民票はどこで発行してもらえますか?」「税金の相談に来たのですが、どこに行けば良いでしょう?」など、まるで『総合案内』が仕事となっています。しかし、小千谷市役所の職員の方も被災者であり、地震から休みなく働いておられ、少しでも負担を軽減するためにと笑顔で活躍されています。


また、被災証明発行の事務手伝いをされているのは、桧山地協の桜花さん、工藤さんです。奥尻町職のお二人ですから、役所の仕事への対応は問題ないのですが、「○△町のガソリンスタンドの横に車庫があってさ…」とか「×□交差点の横の山根だけども…」などの相談に苦労されています。→


 第三期も半ばを過ぎました。そろそろ疲れがたまる頃ですが、もう一踏ん張り、よろしくお願いします。 川口市のボランティアセンターでは、私鉄総連の塚田さん、一般参加の小林さんと、今日からは、運輸労連の井上さん、山田さんが活躍されています。塚田さん、小林さんは「食事担当班」に配置され、職人気質の料理人の班長(この方もボランティア)の信任厚く、大変活躍されています。 「食事担当班」はボランティアセンターに来たボランティアへの食事づくりをしていますが、もちろん調理施設はプレハブ・テントの中です。洗い場はテントの裏で外です。「活動しているときは暑いけど、休憩時間は寒いんだよな」と大変です。


12月15日

← 夜7時頃に出勤です。今日は昼間は宿の前で道路工事の騒音で寝ることができなかったと思います。疲れがたまる頃です。お疲れさまです。よろしくお願いします。

 新潟空港から直接、長岡の明徳高校に行っていただいていた、運輸労連の辻田さん・中村さん・井上さん・山田さんが明徳高校での激務を終え、初めて大湯温泉「保栄館」に到着されました。→ 
明徳高校の避難所では閉所式があり、山古志村から非難された方々に大変感謝されたそうです。「この感謝の言葉は、今まで明徳で活躍した全員にだな。たまたま最後だったから俺らだったけど」とおっしゃっていました。第一期の、高橋さん、植地さん、石塚さん(自治労)、石橋さん(一般参加)。第二期の、村上さん(都市交)、栗林さん・斎藤さん・福田さん(JR総連)の皆さん、明徳高校の避難所は本日閉鎖されました。山古志の皆さんは仮設住宅へ、感謝の言葉を述べられて、移られました。  運輸労連の皆さんが車中にて、「体育館だから屋根に当たる雨の音がうるさかったけど、今日は屋根あるな」…はい、旅館ですから。おつかれさまです。「いやー、足のばして風呂に入れる」…そのとおりです。温泉です。「(それぞれの)イビキから解放されるわ」…すんません、さっきも言ったとおり、四人部屋です。

← 今日は連合北海道から佐藤副事務局長がボランティア団の激励と、最終の日程・作業の調整のために新潟にはいりました。 新潟市で連合新潟に挨拶のあと、長岡市の避難所、大手高校・けさじろ を訪問。明日は川口町ボランティアセンター、小千谷市総合体育館・小千谷市役所ほ訪問します。  長岡市の大手高校では連合北海道の千田さん、JR総連の酒井さん・吉田さん、一般参加の紺野さんが勤務しています。 JR総連の酒井さん・吉田さんは抜群の方向感覚で迅速・的確に避難所へ物資を配送していただいています。大手高校は18日に閉鎖し、撤収作業に20日までかかる予定です。


長岡市 けさじろ の第三期の班長は全農林の田頭さんです。
けさじろ は、22日まで続きます。まだまだ続く激務ですが、田頭班長は「半袖」で元気いっぱいでした…。→
 本日14日で長岡市の明徳高校の避難所は閉鎖されました。
ここは、第三期は運輸労連の辻田班長・中村さん・井上さん・山田さんが活動されていました。
 



  二十四時間の活動で疲れている上に、仮眠の際は「身内のイビキ」にお互いに悩まされたとのことで、
長岡からボランティア団事務局のある「魚沼市」までの移動の間に辻田班長は「気絶」されました。今日の宿も四人部屋です…。←


12月14日

 小千谷市役所で寒風の中で大活躍していただいてます。大変ありがたいです。
夕飯時も活躍していただいてます。このとおり、明るく人気者のお二人です。

12月13日

  現在、活動している長岡市の明徳高校は、避難された方々の仮設住宅への入居により14日で避難所が閉鎖となります。活動していただいているのは、辻田さん・中村さん・井上さん・山田さん(運輸労連)の4名です。 4名の方々は15日より川口市ボランティアセンターに行っていただくことを計画していましたが、新潟県連合中越地協より、「長岡高校の避難所の運営が手薄であり、補強のため派遣を」との新たな要請があり、川口市ボランティアセンターとも協議して、2名に長岡高校での活動についていただくこととしました。 こちらも二十四時間勤務のようです。よろしくお願いします。
 第三期の方々は、土曜日到着から休む間もなく、第二期からの引き継ぎのため、長岡3カ所(けさじろ・大手高校・明徳高校)、小千谷1カ所(総合体育館)、川口ボランティアセンターに配置され、日曜日から本格的に活動しています。 夕食時間は、それぞれの帰ってくる時間が異なり、体調面も考慮して別々にいただくこととし、全体での夕食は到着時と帰宅前日の二回ですが、それぞれ今日の出来事や自分の感じたこと・考えたことを話しながら、活動場所別に楽しい夕食をいただいています。 12月13日から新たな活動を新潟県連合より要請され、桜花さん・工藤さん(桧山地協・自治労奥尻町職)、市川さん・菅原さん(全開発)の4名を派遣しました。活動内容は小千谷市役所内での活動になります。 第三期とともに事務局PCにインターネットが開通しました。 昨日まで携帯電話から「日記」を送っており、「いまどきの若者」のようにメールを打っていましたが、本日よりキーボードでの活動報告となります。これで少しは意味のつながる活動報告・日記を送ることができると思います。
 小千谷名物「へぎ蕎麦」です。四角い木の入れ物を「へぎ」と言います。つなぎに「ふのり」を使ったコシのある蕎麦です。
 そば屋で昼食をとっていると、「どうだい片付いたかい?」「ぼちぼちねぇ」「家に帰れたの?」「帰ったけど、うちで寝てても、恐ろしくて玄関で寝てるんだ。すぐ出れるようにさ」などの会話が聞こえてきます。
 経済復興に寄与するため、二人前を食べました。

12月12日

 長岡市・小千谷市・川口町の三ヶ所。6ヶ所に分散し、帰りも土曜・日曜に別れるため、全体の写真はこれが最後です。一週間よろしくお願いします。


12月11日

 第二期総括は個別の施設・個人名をあげることはしません。皆さん力一杯活躍していただきました。特筆すべき方々は「全員」です。
 ただ、総括すべきは、私たちは第一期・第二期と経験を得て、全国から駆け付けるボランティア活動が終息をむかえつつあるいま、第二期の最大の総括は「手をださない・やらないこともボランティア」であると言うことです。私たちは生涯・永遠に被災者の方々に関わるわけにはいきません。そうであるならば、自立・地域・自治が一番であり、そのことまでを踏まえてサポートできることが最良のボランティアであるということです。
 正直に言って、私たちの一部の団員も含めて、ちまたには数多くの自己満足ボランティアが存在します。「自分が気持ち良いからボランティア。何でも、箸の上げ下ろしまで私がしてあげる。心のケァまで私の考えが正しいから受けとめて、だって、あなた方のために私は無理をして来たのよ…」。
 私たちは自らの経験・反省も含めて確信しました。阪神大震災のボランティア元年から始まり、ここまで大きく・重要な任務を背負ったボランティアであるからこそ、「最終の結果」が求められるのです。
 また、当たり前に全国一律のボランティア・メニューではなく、地域の実情に即した地域への接し方があります。神戸だけが正解・すべてではありません。
 私はDPI(障害者インターナショナル)の仲間との関わり、そして業務として、サービス連合と連合北海道の行事である「障害者に優しい北海道検証の旅」を通じて教えられ、障害者運動にもたずさわるものとして、全く同じものを感じました。対人間ならば「することと、しないことが当たり前・しないほうが良いことがある」のです。
 では、ボランティアとして、この地の出来事にたずさわったものとして、「私たちが今後に行い・求めるべき、結果・今後の指針」は何か。それは「今までもあったはずである地域のつながり・個人の尊厳を再度確立する」ことであり、端的に言えば、それは「自立・地域・自治への『サポート』」にあるということです。
 夕食時に「思い」を語り合った第二期の皆さん、また長岡で力仕事に汗し、また24時間の激務にも関わらず身を粉にして、たずさわっていただいた皆さん、ありがとうございました。おつかれさまでした。
 第二期総括の最後に、すべてのトラブルに対処しなければならない「事務局」を、二週間の長きに渡り、風邪をひきながらも、ボランティア団員のサポートにご尽力いただいた、佐々木さん・自治労に、心より感謝申し上げます。ありがとう。帰ったらススキノにパァッと行こうぜぃ!。
 うまいこと文章にならず申し訳ありません。だって第二期の皆さん!明日帰るからといって騒ぎすぎ!うるさスギ!。もう12時だっての!!。(現地責任者 連合北海道 政策道民運動局次長 皆川 洋仁)

12月10日

金曜の夜、小千谷体育館の夜勤組が最後の出発です。高橋さん・電力総連、は日曜帰りですが、土曜の日勤の人数補強のため、金曜の夜勤・土曜の日勤・土曜の夜勤ののち北海道に帰ることとなります。高橋さん、帰ったらススキノで一杯おごります。(→了解。連合北海道)

 一昨日から温泉の湯の花が異常発生。本日、地震雲らしきもの発見…。

 起こしちゃいました。すんません。←

 小千谷市総合体育館では二名が夜勤を担当しています。第二期は西川さん・高橋さん・電力総連です。夕方の六時半に宿を出て、朝の九時半頃帰ってきます。夜の受け付け・警備・施設管理など昼夜逆の激務です。宿のまわりは道路工事や魚沼市長選挙の本隊車で昼間はうるさく、ゆっくりは寝ていられないようですが、あと、一日・二日頑張ってください。→

 みんなが現場に向かったり、配達などで使用する車には、大きく青文字で「連合北海道」と、小さく赤文字で「災害派遣」と買いた磁石のステッカーが貼ってあります。何度か利用している宿の近くのガソリンスタンドのお母さんから、「毎日ありがとうございます。おつかれさま、風邪などひかず、よろしくお願いします」と大きなリンゴをいただきました。


 川口町のボランティアセンターで今後の打ち合せを終えたとき、ちょうど作業を終えた四人が帰ってきました。「崩れた土塀の撤去でクタクタですよ〜」「汗かいたら、おばちゃんから、Tシャツもらっちゃいました。断ったら、母親の言うことは聞くもんだと、怒られました。いやぁ、新潟に母親できちゃいました」…いろいろあるようです。

 明日は第二期が帰ります。配車計画を作成すると、長岡市に一台を前もって配車しなければならないことになりました。駐車場のたくさんある大手高校に車を持っていくと、普段は配送・仕訳で忙しく会えないのですが、阿部さん・連合、岩井さん・電力、伴さん・胆振地協に昼休憩で会うことができました、荷物運びで腰が痛いと、阿部さんが笑いながら言っていましたが、笑っていたし、私と同じ連合の職場の仲間なので、私も笑ってスル〜しました。


 山古志村の要介護高齢者が避難する、長岡市高齢者センター けさじろ に行きましたら、四人が配食・受け付けに従事していました。夜勤もあるのに、いつ寝てるのか…気になりましたが、聞いて増員要請があると困るので、あえて聞かずに写真だけとることにしました。

12月9日

 小千谷中学校、小千谷東小学校・高校の避難所が閉鎖され、ボランティアセンターも10日をめやすに県外ボランティアから、県内のボランティアを中心にと、自らの力、地域の力・つながりによる復興が始まっています。
 小千谷市での私たちの派遣先は総合体育館のみとなり、新に川口町でのボランティア活動を開始しました。再び団の特性である長期・継続性により、ボランティアセンターから運営の一部を担ってほしいとの要請がありましたが、現在12名を派遣している長岡市の三ヶ所の派遣先の撤収期日が流動的なこともあり、今後、担うとしても最小限のものとし、多くは通常のボランティアとして参加したいと考えています。
 川口町に派遣されたのは、工藤さん・白川さん・基幹労連、八百坂さん・木村さん・立花さん・自治労、木村さん・松本さん・一般公募の7名です。

12月8日

 第二期の派遣先を小桧山政策・道民運動局長が激励訪問しました。
 まずは長岡市の「けさじろ」です。石藤班長・自治労の強力な統率のもと、渡辺さん・飯島さん・桑村さん・胆振地協から派遣された自治労の四名が、山古志村から避難された要介護高齢者の避難生活を二十四時間サポートしています。
 次に訪れたのは物資センターの大手高校。阿部さん・連合、岩井さん・電力の長岡支局?両担当長のもと、伴さん・菊地さん・胆振地協から派遣された自治労の2名の、計4名が山古志村の全避難所8ヶ所に日々の支援物資の配達と、仮設住宅への移住に向けた物資の仕訳・配達に従事しています。残念ながら今日は大変忙しく、四名は外勤中でした。総括の新潟県職員の熊田さんに御挨拶。熊田さんは連合ボランティア団が派遣されるまで、地震発生から一日の休みもない勤務でした。連合北海道からの派遣に大変感謝、本当に助かりますと述べられていました。
 長岡市の最後は明徳高校。ここで大手高校から配達中の岩井さんに偶然会いました。
 村上班長・都市交を、栗林さん・JR総連が力強くサポートし、斉藤さん・福田さん・JR総連の計4名が山古志村から避難された方々の二十四時間の生活サポートに邁進しています。栗林さん・福田さんがいなかったのは夜勤に従事し、昼間は就寝されていたからでしょう。お疲れさまです。
 小千谷市では総合体育館を訪問。夜勤専門に志願され、いつ行っても会えない高橋さん・西川さん・電力総連、今日も当たり前に会えませんでしたが…最後まで激務ですがお願いします。
 最後は第三期のために今日から派遣した川口町ボランティアセンターです。立花班長・自治労、工藤班長・基幹労連の二人の班長のもと、八百坂さん・木村さん・自治労、白川さん・基幹労連、松本さん・木村さん・一般参加が仮設住宅への引っ越し、被災住宅でのヘルプに汗していただいてます。あちこち、いろいろなところに派遣しているにも関わらず、すべてに臨機応変に対応していただいています。大変感謝です。
 さて、小桧山局長・事務局も明日は、その川口町に行き、今後の打ち合せをします。中途半端な安請け合いは、逆に迷惑であり、最後まで責任あるとりくみとなるよう、人・シフト・配車を考慮し、第三期へのニーズを確認してきます。
では、また明日。

12月7日

 小千谷東小学校・高校の避難所は5日に閉鎖、今日まで撤収作業です。工藤班長・白川さん・基幹労連、松本さん・木村さん・一般参加の方々が力仕事に活躍しています。←



 第二期の方々も朝早くから夜まで頑張ってます。小千谷総合体育館には小野班長・電力総連のもと、古舘さん・高橋さん・西川さん・電力総連、中田さん、福島さん、村木さん・一般参加です。高橋さん、西川さんは夜勤を専門に昼夜逆転の任務についていただいています。→

12月6日

 昨晩のトラブルは、新潟市内に宿をとり、本日朝一の便と夕方の便、羽田経由で帰る便に別れて北海道に帰ることとなり、朝一の飛行機に乗った方は、もう北海道に着かれました。
さて、第二期は今日も元気に活動しています。
昨日で閉鎖となった小千谷中学校を担当した、村上さん都市交、栗林さん・斎藤さん・福田さん・JR総連の四名は、今日から長岡市の明徳高校に派遣されました。24時間体制ですが、頑張ってください。
中学校の避難所あとのかたずけは、昨日、小千谷市ボランティアセンターから作業を要請され、仮設住宅への引っ越し作業に汗した、八百坂さん・木村さん・立花さん・自治労が担当しています。


第1陣が帰道しました。ボランティア参加者の声


12月5日

 朝の8時からミーティングが始まる大手高校班は、宿の出発時間が朝6時15分です。外は真っ暗ですが元気に出発しました。8ヶ所の避難所への物資の仕訳・搬送、仮設住宅への物資の仕訳に一日従事します。頑張ってください。
 今後の長岡での作業量の拡大と、移動時間も考え、阿部さん・連合北海道と岩井さん・電力総連をキャップとして長岡に新拠点の立ち上げの検討をお願いしました。
これから、朝7時、7時半と慌ただしい朝の出発が始まります。今日も一日頑張りましょう。

 第二期は今日から各派遣先での作業を本格化させています。その一つの小千谷中学校は今日で閉鎖となります。村上さん・都市交、栗林さん・斎藤さん・福田さん・JR総連の四名が担当し、閉鎖に向けた「かたずけ作業」も 同時に行なっています。明日から4名は長岡市の山古志村の方々が避難され、24時間体制の「明徳高校」に派遣されます。

 第一期の後発帰り組の飛行機が千歳の大雪で飛びません。15名全員が新潟市に宿泊し、明日、帰ることとなりました。しかし、明日の朝1の八時発の千歳行きも満員で予約ができない状況です。千歳に着くまでは事務局の責任ですので、PC、携帯電話…あらゆるツールを使って対処中です。


12月4日

 今日、第一期の先発組が帰道。お疲れさまでした。そして第二期が到着しました。一週間お願いします。
 第二期から「継続」が求められています。第一期と変わらないボランティア内容の提供です。避難されている方に一週間ごとに人がかわっても、不安を与えないことが重要です。
 そのようなことから、なんと本日、到着早々「引継ぎ」のため半日間、現場に班長・プラス一名が入りました。
 しかし、やはり「けさじろ」だけは特別。丸一日の経験が必要とのこと。石藤さん・自治労、渡辺さん、飯島さん、桑村さん・胆振地協(産別は全員が自治労)の4名が到着早々24時間勤務に入りました。現在、居残っていただいている中島さん、高橋さんから引継ぎを受け、石藤班長のもと頑張ってください。(ちなみに飯島さん、桑村さんは高橋さんの職場の後輩です…少し厳しい引継ぎになるかもしれません。すいません)
 さて引継ぎが終わり、「けさじろ」派遣の4名以外の全員が帰ってきました。これから夕食・団結式を開始します。石藤さん、渡辺さん、飯島さん、桑村さん…すみません。班編成・赴任先を決めたのは、皆さんと同じ自治労から事務局に来ていただいた佐々木君です。では!。
                     新潟空港での現地説明会 →


12月3日

 (第1期 総括)
 小千谷市では避難所三ヶ所の運営・管理と一般ボランティアに混じりボランティアセンターから指示される作業を行ないました。
 総合体育館は、加藤さん・電力を班長(小千谷の現場担当・事務局兼務)に、伊藤さん、三浦さん・自治労、森さん、藤井さん、中村さん・電力、山腰さん・JPU、そして佐藤さん、橋場さん・自治労には連続の夜勤を担当していただきました。日勤担当は朝7時に出発し、夜の8時ころ宿に帰ってきます。
 小千谷中学校は中村さん・電力を班長に柳平さん、松島さん、赤木さん、石橋さんが寒風の中、運営・管理を一手に担いました。途中から総合体育館での特務のため、三浦さんは移動し、松島さんに班長をお願いしました。朝7時に出発し、夜の8時半ころ宿に帰ってきます。

 小千谷東小学校は、渡辺さん・JPUを班長に、松坂さん・サービス流通、遠藤さん、赤木さんが担当しました。運営・管理を担うとともに、小学生の登下校の安全管理まで行ないました。こちらも朝7時に出発し、夜の8時ころ宿に帰ってきます。
 ボランティアセンターから指示される作業を行なったのは高橋さん、植地さん、石塚さん・自治労、松下さん・都市交、石田さん。崩れた土塀の撤去にホコリまみれとなり、プール清掃に汗しました。後に高橋さん、植地さん、石塚さん・自治労、石橋さんの四名は長岡の明徳高校に緊急派遣され山古志村から避難された方の避難所の運営・管理を二十四時間体制・仮眠は避難された方が居住する体育館のステージ上という激務を担当していただきました。

 長岡市では二ヶ所の避難所と一つの物資センターを担当しました。
 避難所の一つ「けさじろ」は山古志村の要介護の高齢者が避難されており、こちらも24時間勤務です。班長の中島さん・自治労をトップに佐野さん・電力、田中さん・全郵政、松下さん・都市交が玄関ホールの長椅子の上で仮眠をとる状況での任務を担当しました。最終勤務割りの日曜の朝までの夜勤を中島さん、緊急配置の高橋さん・自治労が担当し、夕方の便で帰ります。特に高橋さんには、ほぼ全ての業務を緊急に回っていただきました。嫌な顔や不満をのべず「そのために来ているから、必要なら何でも言ってくれ」と文字とおり「不眠・不休」で活躍していただきました。
 もう一ヶ所の明徳高校は前述しました。
 大手高校では物資を管理し、避難所に配達を行ないました。伊藤さん、高橋さん・自治労、遠藤さん、赤木さんが担当しました。朝の6時15分に出発し、夕方の7時頃に宿に帰ってきます。
 この大手高校では、今後、建設が終了した仮設住宅へ物資を配送するセンターとなることから、集結するボランティアが効率よく作業を行なうことができるようお世話する担当・役割を新潟県連合・中越地協から求められており、内容・規模を考えると、新たに長岡にも連合北海道ボランティア団の分室・拠点を立ち上げる必要があるのではないかと考えています。
 名前が重複されているかたは急務で移動していただいたためです。皆さん高橋さん同様、快く、臨機応変に対応していただきました。感謝いたします。
 (現地責任者 連合北海道 政策道民運動局次長 皆川 洋仁)

 明日、第一期は第二期に作業内容を引き継ぐために日曜まで居残る15名を残し、任務を完了し北海道に帰ります。そして第二期の27名が新潟入りします。入れ替えにかかわる配車や部屋割り、そして何よりも派遣先ごとの班割りの作業は思いのほか大変です。今日の事務局は、送り出し・受け入れ事務作業に専念しています。幸い佐々木さん・自治労が選挙・遊説の本隊車で培った抜群の能力で作業を行なっており、スムーズに入れ替えが行なえると思います。本日の写真は宿のまわりの景色です。あまり昼間には帰ってこれませんが良いところですよ…


12月2日

 物資センターから各避難所に物資を配送しており、大手高校の物資センターから避難所の「けさじろ」に物資を配送。配るのも・受けるのも連合が中心的役割をはたしています。←






加藤班長・電力のもと、佐藤・橋場・伊藤…自治労、森・藤井・中村…電力、山古志…JPUの8名が、受け付け・運営・管理を中心的に担っています。加藤班長の指導力のもとでの活躍は、小千谷市からも大きな感謝と信頼を受けています。また中村さんの館内放送は玄人です。→

 体調を崩す人も出始めています。避難所は多くの人が避難し、また出入りしており、寒さやストレスなどから風邪など体調を崩している被災者も多く、接するボランティアは体調管理も求められます。幸い連合北海道ボランティア団には、大きく体調を崩す人はでていません。第一期はあと二日!。がんばっています。

12月1日

 避難所である体育館やテントに併設されている仮設トイレはグランドに設置されています。現在、小千谷は雨が続き、グランドがグチャグチャのぬかるみ状態です。被災者の方々はサンダルや短靴で避難されたため、長靴の用意がなく難儀されており、要望もされたことから、小学校・中学校の避難所に長靴を20足ずつ(トイレの数)提供し、大変喜んでいただきました。 →



 被災された方々が日々の食事や日用品など必要なものを受け取りにきます。朝・昼・夕食時は大混雑。外にありますから、大変さむいです。←




避難所となっている小学校は渡辺・山腰・JPU、松坂・サービス流通の三名体制です。受け付け・掃除・交通整理・物資管理などなど、求められること全てに対応しています。小学生とも仲良くなり、がんばっています。→


 山古志村の方々は避難のさい、お財布と通帳・印鑑程度をもちヘリコプターで避難しました。避難所におちついた頃、全国からボランティアが集結しましたが、一部にボランティアを語る泥棒があらわれ、財布や通帳を盗んでいったそうです。その結果、避難所には自治体派遣職員や連合など組織派遣の身元の確かなボランティアが求められ、連合北海道ボランティア団に二つ目の避難所の運営・管理の依頼があり、今日から四人を派遣、昨日から運営・管理をまかされている「けさじろ」に補強で一人、計五人を派遣しました。派遣された五人は前日に小千谷市で崩れた土塀の撤去に従事し、汗・ホコリまみれのボランティアを行なった高橋・植地・石塚・自治労、松下・都市交、石田・一般公募の五人。本当は汗をかく方が良いなぁと言いながらも、請われて必要なことだからと今日から明徳高校避難所に着任しました。
 旭川の女子高校生から託された支援物資は明徳高校避難所に「持ち込みの支援物資」として搬入、山越村の方々の支援に役立たせていただくことにしました。
 小千谷総合体育館には8名が二十四時間体制で活躍しています。仮眠は現在はボイラー室。第二期のために安眠できる場所を確保します。
 ←遠藤さんの指圧は最高です。
 今日の反省会をかねて晩ご飯。長岡組がんばれ!↓                                  
 ←第一期のアイドル三人


11月30日

 24時間体制の けさじろ では、約18時間が作業・打ち合せなどの時間であり仮眠時間でさえ6時間であることから、松下さん・都市交が志願し補強されました。
    

11月29日

 山古志村は約2200人の全村民が長岡市での避難所生活をよぎなくされている。その中でも要介護の高齢者が避難生活をおくる高齢者センター「けさじろ」に連合中越地協の要請を受け、連合北海道ボランティアから三名(中島・自治労、佐野・電力、田中・全郵政)が志願・派遣された。作業は朝の5時の朝食準備から始まる24時間体制。宿にも帰らず避難・高齢者のケァに従事する。がんばれ・がんばろう!
長岡派遣チーム←けさじろで

  

長岡派遣チーム→

←小千谷のボランティアセンターで


 連合北海道ボランティア団の一般公募を新聞で見た旭川の女子高生から「応募ではないのですが、友達と支援物資を集めたのですが、どこに電話しても『間に合っています』と言われます、なんとかなりませんか」と電話がありました。確かに全国から支援物資が集まり足りている状況であるばかりか、物資の管理に人出がとられるなど、各自治体は物資支援の申し出をお断わりしています。しかし、お電話で話を聞き、せっかくの善意を無駄にしないために、「どうなるかわかりませんが、連合北海道ボランティア団の宿に送ってみてください」と申し上げたところ、次のようなお便りとともにカイロやポケットティッシュ・軍手などが届きました。
 「物資の受け入れありがとうございます。
私は旭川でバンドをやっていて、新潟のバンドとライブをやったことがあり、まわりのバンド仲間と『何か役に立ちたい!』と話し合い、少しですが物資を買い集めてみました。…けど一歩動きだすのが遅かったらしくドコに電話しても『間に合ってます』とか『受けつけてません』でした。そして、新聞で札幌のボランティアの方達が新潟に行くことを見て、最後の頼みのつなだ!と思って電話してみました。
本当によかった。この物資どうしようかと思いました!!役に立つことを祈っています!みなさんがんばって!
(ちなみに知り合いのバンドは被害の少ないところに住んでいるらしく大丈夫でした)


11月28日

 新潟に無事到着。明日からの作業にそなえ、必要物資を新潟で購入。復興は経済復興が大切。新潟で買い物しました。明日から小千谷と長岡でボランティア。非難所ボランティアは24時間体制。長岡派遣の三人は明日から宿にも帰らず6日間、行きっぱなしです。がんばれ新潟・だんけつ連合。