12月25日
11月28日〜12月25日の28日間にわたり、のべ106人(うち一般参加26名)のボランティア団を派遣した新潟中越地震ボランティア団は、全ての活動を終了し、第四期の25名も無事に北海道に帰ってきました。 参加者全員が、ボランティア活動に汗を流すとともに、現地での活動を通じ、「ボランティアのあり方」「地域・人と人のつながり」などについて体験し・考えた28日間であったと思います。 皆さん、本当にお疲れ様でした。 初めての取り組みであり、不慣れな事務局運営によりご迷惑をおかけしました。すみませんです。 最後に、ボランティア団に参加者を派遣、支援して頂きました、産別・地域の仲間の皆様に心より感謝申し上げます。 ありがとうございました。
昨日、車中で「気絶(爆睡)」された運輸労連の辻田班長、そして中村さんは、今日から長岡高校に派遣されました。昨日の「日記」をご本人、運輸労連の皆さんにお見せしたところ、「家で家族が(日記を)見ているんだよなぁ」と言いながらも、「こりゃ、一瞬のスキも見せられんな」と、大爆笑で許していただきました。(辻田さんのご家族の皆さん、すみません) 今日から長岡高校の避難所の人員補強のため、二十四時間勤務につかれます…夜勤もあります、本当に激務なんです…土曜日の帰りの車中のカメラにご注意を…。 ← 小千谷市役所に派遣された全開発の市川さん、菅原さんです。被災証明に庁舎を訪れる市民の方への案内とのことでしたが、ブルーの連合ジャンパーが目立つのか、「住民票はどこで発行してもらえますか?」「税金の相談に来たのですが、どこに行けば良いでしょう?」など、まるで『総合案内』が仕事となっています。しかし、小千谷市役所の職員の方も被災者であり、地震から休みなく働いておられ、少しでも負担を軽減するためにと笑顔で活躍されています。 また、被災証明発行の事務手伝いをされているのは、桧山地協の桜花さん、工藤さんです。奥尻町職のお二人ですから、役所の仕事への対応は問題ないのですが、「○△町のガソリンスタンドの横に車庫があってさ…」とか「×□交差点の横の山根だけども…」などの相談に苦労されています。→ 第三期も半ばを過ぎました。そろそろ疲れがたまる頃ですが、もう一踏ん張り、よろしくお願いします。 川口市のボランティアセンターでは、私鉄総連の塚田さん、一般参加の小林さんと、今日からは、運輸労連の井上さん、山田さんが活躍されています。塚田さん、小林さんは「食事担当班」に配置され、職人気質の料理人の班長(この方もボランティア)の信任厚く、大変活躍されています。 「食事担当班」はボランティアセンターに来たボランティアへの食事づくりをしていますが、もちろん調理施設はプレハブ・テントの中です。洗い場はテントの裏で外です。「活動しているときは暑いけど、休憩時間は寒いんだよな」と大変です。
← 今日は連合北海道から佐藤副事務局長がボランティア団の激励と、最終の日程・作業の調整のために新潟にはいりました。 新潟市で連合新潟に挨拶のあと、長岡市の避難所、大手高校・けさじろ を訪問。明日は川口町ボランティアセンター、小千谷市総合体育館・小千谷市役所ほ訪問します。 長岡市の大手高校では連合北海道の千田さん、JR総連の酒井さん・吉田さん、一般参加の紺野さんが勤務しています。 JR総連の酒井さん・吉田さんは抜群の方向感覚で迅速・的確に避難所へ物資を配送していただいています。大手高校は18日に閉鎖し、撤収作業に20日までかかる予定です。 長岡市 けさじろ の第三期の班長は全農林の田頭さんです。けさじろ は、22日まで続きます。まだまだ続く激務ですが、田頭班長は「半袖」で元気いっぱいでした…。→ 本日14日で長岡市の明徳高校の避難所は閉鎖されました。ここは、第三期は運輸労連の辻田班長・中村さん・井上さん・山田さんが活動されていました。 二十四時間の活動で疲れている上に、仮眠の際は「身内のイビキ」にお互いに悩まされたとのことで、長岡からボランティア団事務局のある「魚沼市」までの移動の間に辻田班長は「気絶」されました。今日の宿も四人部屋です…。←
被災された方々が日々の食事や日用品など必要なものを受け取りにきます。朝・昼・夕食時は大混雑。外にありますから、大変さむいです。← 避難所となっている小学校は渡辺・山腰・JPU、松坂・サービス流通の三名体制です。受け付け・掃除・交通整理・物資管理などなど、求められること全てに対応しています。小学生とも仲良くなり、がんばっています。→ 山古志村の方々は避難のさい、お財布と通帳・印鑑程度をもちヘリコプターで避難しました。避難所におちついた頃、全国からボランティアが集結しましたが、一部にボランティアを語る泥棒があらわれ、財布や通帳を盗んでいったそうです。その結果、避難所には自治体派遣職員や連合など組織派遣の身元の確かなボランティアが求められ、連合北海道ボランティア団に二つ目の避難所の運営・管理の依頼があり、今日から四人を派遣、昨日から運営・管理をまかされている「けさじろ」に補強で一人、計五人を派遣しました。派遣された五人は前日に小千谷市で崩れた土塀の撤去に従事し、汗・ホコリまみれのボランティアを行なった高橋・植地・石塚・自治労、松下・都市交、石田・一般公募の五人。本当は汗をかく方が良いなぁと言いながらも、請われて必要なことだからと今日から明徳高校避難所に着任しました。 旭川の女子高校生から託された支援物資は明徳高校避難所に「持ち込みの支援物資」として搬入、山越村の方々の支援に役立たせていただくことにしました。 小千谷総合体育館には8名が二十四時間体制で活躍しています。仮眠は現在はボイラー室。第二期のために安眠できる場所を確保します。 ←遠藤さんの指圧は最高です。 今日の反省会をかねて晩ご飯。長岡組がんばれ!↓ ←第一期のアイドル三人
長岡派遣チーム→
←小千谷のボランティアセンターで
連合北海道ボランティア団の一般公募を新聞で見た旭川の女子高生から「応募ではないのですが、友達と支援物資を集めたのですが、どこに電話しても『間に合っています』と言われます、なんとかなりませんか」と電話がありました。確かに全国から支援物資が集まり足りている状況であるばかりか、物資の管理に人出がとられるなど、各自治体は物資支援の申し出をお断わりしています。しかし、お電話で話を聞き、せっかくの善意を無駄にしないために、「どうなるかわかりませんが、連合北海道ボランティア団の宿に送ってみてください」と申し上げたところ、次のようなお便りとともにカイロやポケットティッシュ・軍手などが届きました。 「物資の受け入れありがとうございます。 私は旭川でバンドをやっていて、新潟のバンドとライブをやったことがあり、まわりのバンド仲間と『何か役に立ちたい!』と話し合い、少しですが物資を買い集めてみました。…けど一歩動きだすのが遅かったらしくドコに電話しても『間に合ってます』とか『受けつけてません』でした。そして、新聞で札幌のボランティアの方達が新潟に行くことを見て、最後の頼みのつなだ!と思って電話してみました。 本当によかった。この物資どうしようかと思いました!!役に立つことを祈っています!みなさんがんばって! (ちなみに知り合いのバンドは被害の少ないところに住んでいるらしく大丈夫でした)