2004ビザなし交流団・連合訪問団行動報告
 
2004年9月  連合北海道 広報道民運動部長 桜田 憲治












(国後島)


訪問団の構成
 
・連合訪問団 阿部道郎総合組織局長以下12名
・交流訪問団 羽田孜元総理、元島民、返還運動関係者、政府関係者、マスコミ、医者など53名
日程・行動内容 8月23・24・25日 根室にて事前研修、船の下見、運動会準備のための器材点検・購入、梱包作業、船積み込み作業等。
8月26日      
9:00〜16:00
16:30
17:00
22:30

訪問団研修会
乗船
出港
国後島・古釜布沖到着(船泊)
8月27日      
9:00
10:00















12:00
17:30
19:40






入域手続き  艀にて島に上陸
「友好の家」(通称・宗男ハウス)でクリル行政府表敬。南クリル地区長代行、地区議会議長との会見。
 阿部団長と北方領土の元島民住居者及び返還運動関係者が北方四島を訪問し、各島に在住するロシア人との交流をはかり、相互理解を増進することにより、北方領土問題の解決促進に資することを願うのもである。また、今回のもう一つの目的は、択捉島紗那にある日本の家屋「水産会事務所」と「郵便局」の修復・保存について、択捉島の行政府、議会にも側面からの協力要請をおこなった。
 地区長代行、議長 ロシア島民との交流、日本家屋の修復・保存には歓迎と理解を示したものの領土問題についてのコメントはなし。

野外昼食交流、海岸散策、墓参、郷土博物館視察
夕食交流会(友好の家)
択捉島内岡湾に向け出航したが22:20に至り、悪天候のため、国後島古釜布湾に戻る(船泊)
8月28日      
7:00
20:00

20:50











択捉島に向け再出航
択捉島内岡湾到着 (29日の上陸まで37時間もの長時間揺れに耐えながら船中)
行政府船内表敬 家屋修復・保存、現況調査要請の結果、修復・保存を了解し所有権の日本でもいいと回答。








8月29日      
9:30
12:30

15:15
:50


18:00
20:00




上陸 自然散策、水産加工場視察、墓参
ホームビジット 13家庭(5〜6人/家)
家屋の調査
運動会準備(行政府前広場)
運動会開始 競技種目〜でかぱんリレー、ムカデ競争、パン食い競争、子ども玉入れ、花火打ち上げ
終了、後かたづけ
乗船、国後島にむけて出航 (船泊)



8月30日      
8:45





17:40

国後島古釜布湾到着するが天候不良(台風)のため、ロシア側の艀が沖に出られず出域手続きが出来ず、待機するも回復の兆し見えず、台風接近による危険回避のため古釜布湾を出航、この間、外務省とロシア側の交渉で手続きなしで、根室に戻ることが認められる。
 *手続きなしで戻れたのは、緊急避難措置とはいえ1992年から12回に及ぶこれまでのビザなし訪問、そして、四島側からの受け入れによる成果であるといえる。
根室港到着  解団式
    
 
島の現況
 *国後、択捉、色丹島には住居者はいるものの歯舞群島には、国境警備隊員以外の居住者はいない。人口、国後島約4,300人、(日本人7,360)択捉島約7,800人、(同3,600)色丹島2,300人(同1,040)。人口のピークは1980〜89年で約23,000人、若い世代の自然増によるものであったが、91年には増加は停止、その後、経済、生活水準の低下生活環境の悪化、医療不安などにより、人口は減少を続けた。更に減少傾向に拍車をかけたのが94年10月の北海道東方沖地震で大きな被害を受け、生活の基盤を失った多くの島民はサハリンあるいはロシア本土へ移 住した。
 
 *道路は舗装されていない。視察等の移動は、島民所有の自家用車を利用(公共交通なし)車は100%と言っていいほど日本の中古車4WDで、右側通行で右ハンドル、運転手はほとんどスピード狂。砂利道の砂ぼこりの視界難もお構いなしで、猛スピードでぶっ飛ばす。

 
 *島の港には1994年の東方沖地震の被害は大きく、今なお倒壊した建物、打ち上げられた船や座礁船のヤマ。財政難と思うが、片づける気配なし。主な産業は漁業と水産加工でここ数年は最新鋭の水産加工場が進出している。商店は両島とも品物は日常雑貨が中心。住宅2〜3階のアパート式住宅が大半だが立派な1、2階建ての一軒屋の多くなっているようだ。自然は美しく、豊かな水産資源。子どもたちは本当に可愛い。運動会への参加は大人、子ども合わせて250人位、みんな真剣な眼差し、連合訪問時の運動会を楽しみにしているとのこと。
  
 *日本の30年代の風景。ロシア島民の二、三代目に変わりつっあり、島を占領したという意識がない。学校教育のなかでもロシア領土と教え込んでいる。
  
 *択捉島のカルプマン地区長は家屋(水産会・郵便局)は修理後の所有権は日本でも良い。管理はクリル地区としたい。利用方法は国後島の「友好の家」のように活用したい。また、ビザなし交流に資するよう、交流を中心に日本文化を紹介する展示会や日本語教室等に活用したい。これを受けた連合阿部総合局長は今後、利用のあり方、所有権、管理など問題点を整理し、対策委員会を立ち上げに向け進めいきたい。(資金対策も含む)
 
 *来年は日露通好条約締結150周年になり、北方四島の帰属問題を解決して、日ロ平和条約を締結し、両国間の相互理解に基づく安定した関係を確立することを日本の一貫とした基本方針にしている。来年1月のプーチン大統領の訪日により、どうゆう成果を上げることが出来るのか。いずれにしても、この返還運動はまだまだ息のながい取り組みであるが、日本人自身が北方領土問題をどう考えるか。未だ関心が薄いのでは?。そういう意味では連合の運動が大切。





 以上 スパスィーバ