北海道の総評労働運動を引っ張ってきた歴史に幕
戦後の北海道における労働運動は、炭労が多くを指導してきた。全道労協にたくさんの指導者を送り、多くの国会議員を生み、地区労運動では、空知・釧根・留萌などで、地域・地区労働運動を形成し、地域の政治にも大きく影響を与えてきた。
炭労北海道本部(道炭労)は全道労協が30万人の時代に12万人の組合員を擁し、まさに道内総評運動の最大単産として、60年安保・三井三池反合理化闘争など、労働運動のうねりと歴史を作ってきた。その組織は、炭労を親組合に、炭婦協(主婦会)、退職者組合など、強固な組織体系を形成し、まさに、「総労働と総資本の闘い」を牽引してきた。
しかし、国のエネルギー政策が石炭から石油に変更されるなか、「エネルギーの安全保障」「地域経済と社会を守れ」と閉山反対闘争がまさに地域ぐるみで取り組まれたが、相次ぐ政策閉山により、組織を急激に減少させ、その産業の終焉とともに、日本炭鉱労働組合(炭労)は11月19日、札幌市で解散大会を開催し、54年間の歴史に幕を下ろした。
解散大会には全国各地から集まった炭労のOB、家族ら約150名が出席しました。大会の冒頭、炭鉱事故などで亡くなった組合員に黙祷を捧げた後、千葉委員長がこれまでの炭労の闘いを振り返り、「日本の労働運動のけん引役であった炭労の運動は戦後の労働運動史にさん然と輝くとともに、今後の運動に引き継がれると確信する」と最後の挨拶。
解散宣言を全体で確認した後、「返魂式」が行われ、闘いの汗と涙が染みこんだ組合旗や腕章、鉢巻きを燃やし、別れを告げた。
同日夜開催された解散レセプション「炭労をささえてくれた仲間に感謝する集い」には連合本部の笹森会長も駆けつけ、「歴史に深く刻まれた炭労運動に感謝します。ありがとうございました」と解散を惜しんだ。また、笹森会長は解散の記念にと、連合本部に飾られている塊炭をパネルに納め、千葉委員長に手渡した。
レセプションでは「炭労の足跡」と題するビデオも上映され、出席した300名を超す関係者がこれまでの数々の歴史を振り返っていた。
いま、北海道の連合運動は、「炭鉱の生まれ」「親の転勤で炭鉱地域にいたことがある」など、多くの炭労の子孫がそれをささえているのではないか。 |
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「炭掘る仲間」の斉唱 |
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「返魂式」万感の思いを込め組合旗を燃やした |
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笹森連合本部会長のあいさつ |
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