冷泉彰彦 :作家(米国ニュージャージー州在住)、著書に『トロイの木馬』(角川
春樹事務所)
「週明けのアメリカ、その苦悩と希望」
新しい週が明けました。アメリカはまだ激しく揺れています。攻撃の当日、ブッシュ
大統領が図らずも口にした「ミスは許されない」という言葉が一人歩きを始めて、人 々の心に問いかけを続けているかのようです。深い悲しみがあります。強い怒りもあ
ります。ですが、それ以上に自制心とバランス感覚を求めて必死の努力をしていると 言って良いでしょう。
14日の金曜日が犠牲者への追悼日と定められ、前後して様々な行事がありました。
その中でも最も人々の涙を誘ったのは、犠牲となったNYの消防隊員への追悼行事で した。ヒラリー・クリントン上院議員はその弔辞の中で「激しい怒りを感じます。こ
の怒りをどのような言葉で表したら良いのか、恐らく大変な時間がかかるでしょう。 それほどの怒りを」と述べていました。厳かな口調の中に軽挙を戒める彼女らしいス
ピーチでした。書店や出版社などが軒を連ねる、NYの下町文化の中心である14丁 目のユニオン・スクエアは、日暮れと共に多くの人が集まったようです。多くの子ど
も達の描いた消防隊の画の中の消防車の赤い色がロウソクの光に染まった光景が、ど のチャンネルにも映し出されていました。そこには「報復」の二文字はありません。
ABCテレビは週末に各界宗教者と子ども達による討論番組を放映していました。
「仕返しに多くの人を殺したら、その仲間の人たちは本当に怒ってまた私たちに怖い ことをするかもしれない。ほんとうに怖いです。」これは小学校低学年の女生徒の発
言でした。予備役兵に抱かれた5歳ぐらいの女の子が「パパが行っちゃうのはイヤ」 と泣き出したシーンが、その予備役の父親の温厚そうな顔と共に映し出されていまし
た。勿論、「僕が大人だったらすぐに志願する」というような男の子の発言もありま したが、話の全てが厳粛かつ冷静に進行していました。
私の住むNYの南部は鉄道の便が良いのと金融関係の研究所が多いこともあって、世
界貿易センター(WTC)ビルへの通勤者が集中して住んでいる地区です。私の子供 の通う学区全体では、家族や親戚が行方不明になった子供が17名もいることが分か
りました。そんな中、14日の金曜日の夜7時には、街の家々で静かにロウソクが灯 されました。慎重に保護者の意見をメールで確認してから再開された少年サッカーの
練習場でも、プレーを中断して子ども達が懐中電灯を一斉に空に向けて追悼しまし た。「今週起きたことは恐ろしいことだった。でも、身を挺して働いている消防士や
ボランティアの人たちがいたということは、良いことだろう。君たちは人間の良いと ころを見て生きていって欲しい」コーチの言葉に小学生の子ども達はうなずいていました。
アラブ系への人種偏見は事件当日から大きな問題になっています。この問題について
は、感情と偏見に流される動きを抑えようと、必死でバランスを取ろうとする動きが 見られます。学校からの事件に関する親や子ども達への心構えのメモには、必ず人種
偏見を厳しく戒める言葉が並んでいます。金曜日の朝ワシントンのナショナル・カテ ドラルで行われた礼拝などの大きな宗教行事は、かならず「インター・リリジャス」
ということで、新旧両キリスト教に、ユダヤ教、そしてイスラム教の聖職者がそれぞ れの立場からの礼拝のスピーチをするのです。これは、NYやニュージャージーなど
でも市町村の行事などでかなり徹底しています。
FMラジオのトーク番組での聴取者とキャスターの論戦には益々熱が入ってきまし
た。州のローカル局へ電話をかけて「怪しい移民を排除して!」と叫ぶ女性に「そん なことをしたら、 アメリカがアメリカでなくなっちまう」
と言い返したキャスター が、その勢いで「ヘイ、そこの白人さん。そんなことばかり言ってると、みんなが白 人を見ただけで人種差別者だと笑うよ。大丈夫かい?オクラホマで、コロンバインで
ひどいことをしたのはどんなヤツか、白人の人種差別主義者じゃないか」とまくし立 てていました。「連中がイスラム教徒だっていうふうに考えるのが間違ってる。連中
は単なるクレージーな奴らだ。 それだけだ。 人種や宗教の問題と一緒にするな」と も。
週末に行われたコンサートで、マドンナは報復に反対を呼びかけ、マイケル・ジャク
ソンは犠牲者の家族と復興への寄付を目的とした歌をリリースすると発表しました。 そんな中、ウォール・ストリート・ジャーナルとNBCの連合世論調査では、「即時
軍事行動への支持」が15%、「行動は真犯人の特定まで待て」が81%と冷静な数 字を示しています(9月17日朝発表分)。いつしか、「第二の真珠湾」という懐古
趣味的な感情論は消えてゆき、ベトナム、湾岸、ソマリアといった厳しい歴史の教訓 を人々は思い起こしはじめたのでしょう。
そういえば、日曜日のショッピング・モールには大勢の客が詰めかけていましたが、
皆、いつもより優しく静かなのです。ショッピング・カートが交錯しないように気を 付け、人の前を横切る時には
"Excuse me." それに対しても、静かな視線と微笑を返 す。そのやりとりがどこか優しく人恋しい感覚なのです。店の中で聞かれた声・・・
「あーあ、この秋はイヤなことばかりだろうな。いっそ、目が覚めたらクリスマス・ イブだったらどんなに良いだろう」、「ハロウィンって気分じゃないよな。ハロウィ
ンは、何にもしないか、そうじゃなかったら思いっきり馬鹿騒ぎをするかどちらかだ な」・・・DVDのコーナーでは、コメディ映画が飛ぶように売れていました。「オ
ースチン・パワーズ」とか「メリーに首ったけ」とかは軒並み売り切れで、思いっき り羽目を外せる映画をこっそり観たいという心理のようです。残念ながら、最も観て
欲しい「13デイズ」は山積みされているだけでしたが。
日本の報道について言えば、パウエル国務長官が「全ての選択肢」と言えば、すわ
「地上軍派遣も」と言い、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領が "war" と言う語
彙を使うと「アメリカは戦争状態」という誤訳をする、この英語音痴には困ります。 現在の時点での "war"
に見合う日本語はせいぜい「戦い」でしょう。日本語の戦争 というのは国際法の戦争という狭い意味に限りなく近いのですから。TVジャパン経
由のNHK画面で見る限り「同時通訳」でのニュアンス不足は恐ろしい程です。少なくとも時間差のある場合は慎重な字幕にするべきでしょう。
日本での「報復反対」の運動にもズレを感じます。米国の軽挙を戒めるために、何も
イラクに連帯したりイスラエルの悪口を言う必要はありません。オサマ・ビンラディ ンが主要な容疑者であるとして、どうしてPLOやイラクに関係付けるのでしょう。
どうして行きすぎたグローバリズムがどうのこうのという議論になるのでしょう。ど うして苦しい和解の努力を避けて、バランスを取ろうと「あっち」の肩を持つのでし
ょう。そんな20世紀的な二分法はもうこの世界には残っていないのに。
少なくともアメリカの市民は「20世紀的な二分法」ではなく、全く新しい危機に直
面し、何を守れば良いのかという根底的な部分を誠実に悩んでいると言って良いでし ょう。野党だけではありません。日本の政府与党に見られる、「湾岸の二の舞を避け
よ」という議論、ひいては「後方支援策」 云々という話がおかしいのは、 そうした 「何を守るのか」という原点からの思考に欠け、「国家でない少数者」が「全世界を
揺さぶる」という前代未聞の事態への危機意識に欠け、冷戦の恩讐残るアフガン、パ キスタンの地で、流血を防ぐこと自体にかける壮絶なまでのマキャベリズムを見なが
ら、どう自身の政治信念を組み立てるかという知的能力に欠けることを暴露している からに他なりません。
外電によりますと、タリバン勢力はパキスタン国境に兵力を展開、旧ソ連から奪った
スカッド・ミサイルを南へ向けているとのことです。当然、多国籍軍(ということに なりそうですが)としてはパキスタン国境でのタリバンの先制攻撃を誘発しようとす
るのが定石でしょう。ムシャラフ政権に取ってはそれを防げるのかどうかが命懸けの 交渉ということになるのでしょう。ですが、先制がどちらであっても、絶頂期のソ連
軍精鋭を撃退した天然の要塞と、化学兵器、生物兵器という究極のブラフを手にした オサマ一派との間で、事は簡単ではありません。
私見を述べるならば、オサマを滅ぼすことは不可能であると思います。頭目を殺した
としても、地下深く壕の中に潜む男を殺したという証明がどうやったらできるのでし ょう。仮に出来たとして、その組織が残れば、地球全体がより残忍な報復の恐怖に怯
えることになります。ここは、オサマ一派を滅ぼすのではなく、あらゆる大義名分を 奪うことが上策でしょう。アラファトのメッセージを誤ることなく受け止めて、クリ
ントン政権時代の中東和平のプロセスに戻すこと、その勢いでイラクのフセイン政権 の平和的打倒という流れを作ること。この二つが出来れば、悪事を働く連中は誰から
見てもピエロになるだけです。少なくとも、クリントン=ゴアの描いた21世紀像と いうのは、全世界が平和であることを前提としたIT、バイオ革命によるニュー・エ
コノミーであり、中東和平はその大きな世界像の一部だったのですから。
週明けの世間の関心はNY株式市場の動向に注がれました。NY証券取引所のグラッ
ソ会長の静かなスピーチに続いて9時30分きっかりに二分間の黙祷が行われまし た。売買の電話取り次ぎなどで騒がしかった市場もCNBCの画面では30秒ほど後
には完全な静寂となり、 関係者たちの多くは涙をにじませながら黙祷をしていまし た。モーガン・スタンレー証券を筆頭に、余りにも余りにも多くの関係者を失った金
融界です。誰もが必ず思いを馳せる犠牲者がいる、その中で、資本市場を支えること が、それだけが市場関係者の使命だ、そんな密度の濃い沈黙のように思われました。
そして、 海兵隊員の折り目正しい "God Bless America" の歌唱に続いて、NY消防
局とNY市警のメンバーがハンマーを打ち下ろして市場が開きました。
今回の事件で今日明日が見えなくなった航空業界の大きな下げと、この一週間の欧州
やアジア市場の下げ分との調整をこなして約7%の下げというのは常識の範囲内でし ょう。利食いを呼びやすい「熱狂的な愛国買い」もなければ、投げ売りも見られませ
んでした。オープン前の8時20分にFRBが抜き打ち的に0.5%の利下げをしま したが、それも好感されつつこなされるという自然な結果に終わったということでし
ょうか。電話回線のパンク懸念が残る中、通常の二倍以上の出来高をとにかく無事に こなしたということで、まずは市場関係者の勝利と言って良いでしょう。NYSE生
え抜きの小柄なグラッソ会長の姿がこれほどまで大きく見えた日はなかったように思 います。下げは下げとして、ローカルのラジオを始め、夕方のTVニュースなども落
ち着いた報道でした。
夕方からは再開された大リーグの試合の開会式が中継されました。特に、地元メッツ
は復旧活動に支障のないようにと敵地ピッツバーグでの主催試合という変則でした が、今回の事件で友人を失ったバレンタイン監督以下、ナインはNY市警とNY消防
局の帽子をかぶり星条旗を縫い込めた昔のユニホームで登場し涙をにじませながらも 極めて厳粛でした。牧師の祈祷に続いて、
空軍兵士男女による国歌と "God Bless America" の歌唱はあくまで物静かで、街の近郊でのハイジャック機の墜落と
いう傷を負ったピッツバーグ市民の心情を表しているようでした。一方、フィラデル フィアでのフィリーズ対ブレーブス戦では地元の聖歌隊による国歌がゴスペル調の激
しいアレンジの中にも古都ならではの復興への気概が感じられて見事でした。
まだまだ野球気分ではない、そんな声も聞かれますし、ピッツバーグでの観客はまば
らでした。ですが、バレンタイン監督の表情にはある決意を見る思いがしました。ま さか、この時点からの「ミラクル」?今日の勝利を見るとゼロとは言えません。メッ
ツと言えば新庄選手ですが、開会式を全国中継したMSNBCの画面には真剣そのも のの表情が映りましたし、決勝点をもたらした本塁突入はローカルニュースでは大き
く取り上げられ、ツヨシ・シンジョウも復興を目指すNY魂の仲間だという印象を与 えていました。
どうやら、問われているのはアメリカ市民だけではないようです。犠牲者・行方不明
者の出身国が40数カ国にも上る今回の事件は、世界中の人々に「21世紀」という 時代をどう生きるかを突きつけたと言って良いでしょう。日本人もその中に含まれま
す。少なくとも新庄選手の毅然とした表情には何かがありました。NYの下げを「予 想の範囲」として3%高で寄りついた火曜日の東京市場にもそれらしきものを感じま
した。古くさいイデオロギーの二分法ではなく、まず具体的な行動をとの思いで日本のNGOが動き始めたとの報道もありました。根拠のある希望を組み合わせてゆくこ
とで、きっと新しい世界像ができる。そんな究極のポジティブ・シンキングを獲得し て行くことが、犠牲者への最大の追悼ではないでしょうか。
ーー
「忍耐へ挑戦するアメリカ」
9月20日の木曜日。夜の9時過ぎから行われた上下両院合同議会でのブッシュ大統
領の演説は、具体的な宣戦布告を避け、硬軟取り混ぜた中にも市民への忍耐を呼びか けるものでした。大統領の演説は、例によって巧みではありませんでしたが、相当に
長期の忍耐をとの言葉はしかし自然に受け止められて行きました。私はたまたま地元 の中学校の校舎の中で、こちらでは夜に行われるのが通例の保護者会に出ていまし
た。9時過ぎの流れ解散の後、生徒用のカフェテリアで多くの父兄達とTVを見たの ですが、みんな黙って、本当に静かに、しかし注意深く聞いていました。そこには愛
国の熱狂も、事件への直接の怒りもありませんでした。ただ、自分達が全く経験した ことのない事態に対して、精一杯生きようとする姿勢がありました。
大統領演説に先立って、ここニュージャージー州にあるアイビー・リーグの名門、プ
リンストン大学では、木曜日の午後を使って学生と市民のための公開セミナーとティ ーチ・インが行われました。600人近く収容できる大教室は、前日に開催が発表さ
れたばかりであるにも関わらず、満員で立ち見も出る盛況でした。ここでも熱狂や怒 りは抑えられていました。経済学部教授主催の公開セミナーが二時間、ウィッドロー
・ウィルソン国際政治研究所の有志主催のティーチ・インが二時間、どちらも熱のこ もった、しかし冷静で緻密な議論に終始していました。
前半の「今回の悲劇が経済と財政に与える影響について」と題した経済学部主催の公
開セミナーは、クリントン政権のアドバイザーであった、アラン・ブラインダー教授 の基調報告で始まりました。「まず、今回事件の被害者に対して黙祷を。(黙祷後)ではまず事件前日の9月10
日の状況を思い出して欲しい。米国景気はこの第三四半期は絶望的。でも、原油が下 がり、利下げがあり、減税の前倒し還付があった。そこで第四四半期からの回復があ
るかどうか?これが最大の関心事だった。これに対して欧州は堅調、逆に日本は悪化 の一途、途上国で言えばペルーやアルゼンチンは危機的だった」そもそも事件の前からリセッションは明確だったではないかというのです。
「そこへ今回の事件が起こった。これは個人消費を直撃する。個人消費がGDPの73%を占める米国の場合、ラフに見積もってこの第四四半期で3%消費が下がるとG
DPがマイナス2ポイントになる。これは大きい。だが、過去の不況期を振り返って 欲しい。1990年の湾岸危機では第四四半期だけでGDPが3.2ポイント下がっ
た。その前の1980年のイランの米大使館人質事件では第一四半期でマイナス2. 2ポイントだ」厳しい、だが我々としては経験済みの厳しさだ。そういうメッセージでした。「問題は原油価格だ。これに影響するような
『作戦』 はあってはならない。 それ から、 FRB(連邦準備委員会)の金融政策に対して効果を焦らないことだ。個人
消費回復に即効性はない。待つことが肝要だ」とも。
続いて演題に立ったポール・クラグマン教授の発言は明快でした。
「2002年の中ごろから景気は回復基調に向かう。復興対策の公共投資、金融緩
和、そしてヨーロッパが持ちこたえてくれれば大丈夫だ」ですが、これには条件があるというのが、ジョセ・シャインクマン教授、「前提は国際社会が未来に対して明らかな恐怖を感じないということだ。もしも恐怖
に負けたら、S&P400ドル、日経平均は3500円もありうる。あってはならな いことだが・・・」
アラン・クルーガー教授は社会経済的観点からと断って、興味深い楽観論を展開しま
した。「NYのそしてアメリカの復興には、阪神大震災後の神戸を見習うべきだ。あの当 時、日本は景気後退期にあったが、それでも神戸地区の工業生産高は、15ケ月で、
震災前の98%まで戻した。たった15ケ月でだ」そして、今アメリカを直撃している社会問題についても一刀両断。「雇用は心配ない。ボーイングと航空業界のレイオフが問題になっているが、他の産
業は調整済みだ。雇用問題が社会不安や消費を引っ張ると言うのは大袈裟だ。それか ら、治安問題に怯えて移民政策を見直すのにも反対だ。この10年間の経済成長はハ
イテク労働者を中心とした移民が牽引してきたことを忘れてはならない」「皆が安心して働けるように民間ベースの労災保険の普及によって保険業界に回復を
もたらそう。減税はもう必要ない。その金は被害者や被害地区へ集中して回すべき だ」。
悲観材料を見据えながらも、このティーチ・インでの討議は冷静な楽観論のように思
われました。判断可能な材料から、希望を作り上げてゆく。事態の後追いではなく、 状況へのリーダーシップを発揮しようとするエコノミストの真骨頂というところでし
ょうか。図らずも、一夜明けた金曜日の市場は午前に売り物が殺到した後は落ち着い た動きに終始し、午後は値を持ち直しながら「堪え忍ぶ」均衡点を探すかのような展
開です。NYのジュリアーニ市長は、市の経済復興のために「この週末は地元でのシ ョッピングを」と呼びかけました。今週からCMの放映を再開した各TV局は、「困
難な状況下で広告出稿をしてくれたクライアントに感謝します」という率直なメッセ ージを流しながらの放映をしています。
木曜日のプリンストン大学に戻ります。引き続いて行われた非公式のティーチ・イン
は国際政治学のウィッドロー・ウィルソン研究所、その名誉教授たちと大学院生の呼 びかけで急遽行われたものでした。こちらは最初の黙祷から経済学部のものとは違っ
ていました。司会の大学院生が「今回事件の被害者並びに、その後に起こったヘイト ・クライム(人種差別による暴力)の被害者に黙祷」、600人近い参加者にはその
ヘイト・クライムの事件の一覧が配られていました。
最初は中東研究学部のL・カール・ブラウン名誉教授、「テロリズムについて、ブリ
タニカの年鑑で調べてみて欲しい。例えば、1998年には全世界で742人が犠牲 になった。1999年には238人だ。だが、こうした数字の全てがイスラム原理主
義者の仕業ではない。 オクラホマの事件もあった。 日本のオウム真理教事件もあっ た。その前からはIRAと英国の闘争もあった」として、テロ=イスラム原理主義と
いうのが偏見であるとした上で、「ほとんどのイスラム教とはテロと無関係だ。それ だけじゃない、ほとんどのイスラム原理主義者もテロとは無関係なのだ」とも。そし
て「イスラムは大きな宗教だ、信者数はカトリックより多い。だから、世界最大の宗 教だ。そしてイスラム教とは中東だけではない。インド以東のマレーシアやインドネ
シアにも巨大な信者の人口があり、ヨーロッパ全域にも多い。トルコのようにNATO加盟国もある。 そして700万人の信者のあるこのアメリカもイスラム国家なの
だ」と。「だから、今回の問題の解決はイスラム世界との共同作業なのだ」
次は、国際政治学のリチャード・A・フォーク教授、静かなしかし語りかけるような
口調で一語一語に思いを込めた印象的なスピーチでした。「この戦いは人類の経験し たことのない戦いだ。第一に、この戦いは軍事衝突ではない。第二に、国境紛争では
ない。第三に、過剰反応は必ず敵のエスカレーションを招くという点だ」そして「こ の戦いの本質は、政治と道義の戦いだ。政治だけではない。道義でも勝たねばならな
いし、政治と道義のバランスが肝要だ」更に、ハイテク神話を戒めよということで、 「ナイフというローテクが、ハイテク・ジェット機を大量殺戮兵器に変えたという現
実の意味を良く考えなくてはならない」そして今回の問題の解決策としては、「第一 に非暴力、第二に国際法と国際司法システムによる解決、第三に『聖戦』という思想
の除去、『かぎりなき正義』(米国の作戦名)などという『原理主義』は言語道断」 と明快でした。
ロバート・ギルピン元教授は、「目的が明確でないものは戦争ではない。長期的な忍
耐で問題解決を。聖戦思想もダメだが『十字軍』的発想もダメ」、そして歴史学のロ バート・L・ティグナー教授は
「真珠湾との比較も絶対にダメだ。 何故ならヒロシマ、ナガサキに通じるからだ」と述べた後で、「中東問題の解決が、そして持てる国
と持たざる国の和解がなによりも肝要だ」とも。
質疑応答は質問はメモで提出するという厳格な形式でしたが、NATOの作戦参加の
是非についての質問に対してはギルピン教授から「北大西洋条約第五条適用(一国へ の攻撃は他の参加国への攻撃とみなす)というのはある種の縛りだ。これを国際司法
システムへの信頼につなげるべき」との指摘が。そして「テロ組織の根絶策は」との 問いにはブラウン名誉教授から「中東和平が肝要。中でも、穏健アラブ諸国の国論が
割れる中で反政府主義者が過激に走る悲劇は、中東和平の遂行ということでしか解決 しない」との指摘がありました。
大学でのどちらのセッションも整然としていて、 論者には確固たる意志がありまし
た。冷静であること、忍耐を学ぶことを通じて歴史上初めての危機に対処しよう。そ ういう強い意志です。それは、静かに全国に広がっています。大リーグの試合には観
客が戻って来ました。 そこでは、 威勢の良い国歌よりも、 抒情的な "God Bless America"
が必ず歌われるのです。試合開始と、七回の攻防の前の二回。 その メロディーには「報復」というメンタリティとは無縁のものです。確固たる意志はも
っと強い形でも現れ始めています。カリフォルニア大学バークレー校や、ハーバード 大学では、反戦運動の輪が広がりつつあるようです。
ブッシュ大統領の演説は、ニューヨークのジュリアーニ市長と市民の努力をたたえて
終わりました。議事堂に招かれたジュリアーニ氏の厳しい顔に万雷の拍手が浴びせら れる中、 大統領は長いあいだ市長の顔を微笑みと共に見つめていました。
あの日に 「マンハッタン全島避難」という意見を「ノー」の一語で却下した市長、行方不明者 捜索と遺体収容の陣頭指揮を取り続ける市長、自身のカリスマを上回る尊敬を集めて
いる市長に対して、率直に「俺の負けだよ、あんたはスゴイ」という顔のできる不思 議な大統領です。スピーチ全体の構成も見事でした。強硬な言葉を前半に消化してお
いて、後半は冷静な忍耐を求める内容に終始していて、メッセージは明確でした。
歴史上経験したことのない事態に対して答えを探し始めたこと。その模索の中で、冷
静であることと、 耐えること、 そして異なった存在が共存することこそが戦略なの だ、いや新しい時代の生き方なのだ、そんな新しい「文明」が方向性としてほのかに
見えてきたこと。経済にしても外交にしても内政にしても、そこに希望を自分たちの 意志で見出して行こう。そんな大きな転換をこの社会は志向し始めているように思わ
れます。
ーーーーー
(補足)
1.今回の小泉訪米では、NYにおいて邦人の被害者や家族だけでなく、NY市への
こころの支援に心がけて欲しいものです。特に、NY消防局、NY市警、NY港湾局 への賞賛は欠かせません。また、NYというコミュニティが多民族であるということ
も考慮して欲しいと思います。現地の人=白人ではありません。例えば、貿易センタ ーに近いチャイナタウンやリトル・イタリーで育った移民二世に取っては、あのツイ
ンタワーがアメリカンドリームの象徴で、それを視覚的に失ったことのトラウマは格 別のものがあるのだと言います。
2.経済四団体からの義援金のことが日本のメディアでは報道されていました。1000万ドルという金額は評価しても良いのですが、所詮匿名献金のようなものです。
ニンテンドーであるとか、トヨタ(レクサス)といった名前もイメージもある企業か らの義援金の方が効果的というよりもこころに届くように思うのですが。
3.日本国籍の行方不明者は80人近くに達するようです。在留届がないからと言っ
て、外務省の支援対象に入らないというのは不合理だと思います。国際結婚をしなが ら日本国籍を維持し日本の言葉や文化を守り広めている邦人、日系企業で現地採用さ
れた邦人、そうした人々ですら支援対象から外すというのならば、日系企業に働く非 日本国籍者への支援などおぼつかないでしょう。
4.細かな話ですが、貿易センタービルの地下には、「めんちゃんこ亭」というラー
メン屋さんがあります。昼食時に同ビルを訪れた日本人なら必ず立ち寄る場所と言っ て良いでしょう。ですが、その存在を外務省は知らなかったので「支援対象」から外
していたというのです(朝日新聞)。幸い従業員の方は無事だったのですが、悲しい エピソードです。
5.再開後の大リーグでの日本選手の頑張りは大したものです。新庄の引っ張るメッ
ツは今日からのブレーブス三連戦の結果次第では「ミラクル」もあり得るところまで 来ました。イチローと佐々木はナ・リーグ西地区優勝を決め、野茂も11奪三振で1
2勝目と、精神的に張りつめた状況で良い結果を出しています。これも立派な米国コ ミュニティへの貢献でしょう。何よりもそこには「顔」があるからです。
6.勿論、志願兵の登録も相当な勢いだと言います。軍服めいた好戦的なTシャツも
売れているそうです。ですが、NY市警やNY消防局の帽子はそれをはるかに上回る 勢いで売れているそうです。